ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.64
恵比寿 天窓.switch
- 恵比寿天窓.switch について
- 四谷天窓、四谷天窓.comfortにつづく天窓グループ3店舗目として2006年7月オープン。洗練された客席スペースと広いステージ、グランドピアノやドラムセットも備えた「アコースティック+α」のライブハウス。弾き語り箱の名門・天窓のイメージにとらわれず、「天窓カラーからの脱却」を掲げる天窓グループ異色の存在。「ノーカラー」をコンセプトに、シンガーソングライター、バンド、アイドル、多様なジャンルを受け入れ、自由なアイデアで織り交ぜる。あらゆるベクトルに開かれた空間はワンマンライブでも人気が高く、イベントをサポートする運営スタッフの個性とチームワークが光る。
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- 恵比寿天窓.switch
[閉店] 渋谷区恵比寿3丁目28−4 B1F
TEL:03-5795-1887
E-mail:switch@otonami.com
ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 恵比寿天窓.switch 編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
今回は、四谷天窓、天窓.comfortに続いて「恵比寿天窓.switch」店長の松村純一さん、制作・ブッキング担当の泉になみさんにお話をお伺いします。まずは、オープンの時期と経緯について教えてください。
松村前身である四谷フォーバレーが(ビルから)撤退することになり移転先を探す中で、ここにあった「YEBISU ∞ switch(旧)」というライブハウスから運営を譲り受ける形で、2006年7月「恵比寿天窓.switch」に名称を変更してオープンしました。
お二人が天窓に入られたのはいつ頃ですか?
松村2009年からなので、かれこれ8年くらいたちます。
泉僕は4年ほど前なので、2013年からです。
四谷フォーバレーと言えば「ザ・ライブハウス」というイメージでしたが、移転後は意図的にアコースティックな方向に向かったのでしょうか?
泉当時はむしろ、高田馬場のアコースティックと差別化を図るための物件を探していたそうです。
松村運営側としては四谷からの流れで「ザ・ロック箱」を探していたのですが、先程の旧switchさんとの縁もあって恵比寿のここに移転しました。結果的に、アコースティック色が強い天窓3店目となりました。
高田馬場の天窓グループ2店との違い、特色を教えてください。
泉天窓グループ他店との関係で言えば、高田馬場の天窓や.comfortに出演されているアーティストのワンマンライブや、サポートバンドをつけたい、自分たちでイベントを企画したい、という時にうちを使ってもらうことがあります。ここではドラムも鳴らせますから。
松村ひと通りの機材をそろえており、グランドピアノもあるので「アコースティック+α」というイメージで、さまざまなジャンルに対応できるように展開しています。
他の2店よりも大きな音量が出せる?
泉もちろん音量制限はありますが、ここは天井が高いこともあって、いわゆるコンサートホール的な鳴りがあるのでグランドピアノや弦楽器を入れても伸びやかなサウンドが作れます。そういう特性を好まれて恵比寿天窓.switchを使う方もいらっしゃいます。
ところで、近年はアコースティック系のライブスペースが多くなっていますが、影響のようなものはありますか?
泉実は、僕が天窓に入ったとき、不況のあおりもあったのか、特にここ天窓.switchは(売上が)すごく落ち込んでいました。アコースティックを軸とすることが暗黙の了解としてあって、系列3店舗が全てアコースティックという発想から抜け出せずにいるな、と感じました。
といっても、天窓はアコースティックの名門として確固たるブランドがありますからね。
泉それがデメリットとなっている部分があって。出演アーティストにしても、ホールレンタルにしても、その「天窓ブランド」を保つため、運営側の意にそぐわないものは断っていました。僕は天窓グループに、なんの先入観もしがらみもなく入ってきたので、こだわりなく続々とさまざまなアーティストやバンド、イベントを受け入れるようにしました。
天窓グループとしても変化が必要な時期だった?
泉そうですね、運営サイドも切り替えていこうというタイミングでしたから、できることは全部やって、いろんな方に気に入ってもらえる箱にしていこうと方向転換をしました。固執してつぶれてしまっては元も子もないですから(笑)
天窓カラーから脱却、あらゆるカラーに染まらずノーカラーで
実際、落ち込んでいるライブハウス経営をたてなおすのは難しいと思いますが、具体的にどのようなことを行ったのか、詳しく教えていただけますか?
泉まずは「天窓カラー」からの脱却、あらゆるカラーに染まらず「ノーカラーでいこう」と意識しました。僕は高校時代からイベントプロデュースをやっているので、バンドからアイドルまであらゆるアーティストにアプローチしました。「まずは見に来てよ」というところから始めて、とにかくいろんなジャンルを混ぜた形で組むようになしました。アコースティックもバンドもアイドルも一緒にイベントを組みましたよ。
アイドルとシンガーソングライターを一緒にやるというのは…。
泉普通はタブーですよね。でも、音楽性がしっかりしているアイドルもたくさんいて、そういう方々ならうちでも受け入れられるのではないかと。スタイルが違っても、結局ちゃんと音楽をやっている人たち同士を合わせれば、うまくハモるんですよね。
見に来られたお客さんがビックリしちゃいませんか?
泉リスナーさんも昔ほど、ジャンルについてこだわっていないと思います。一昔前は入ってくる情報が限定的だったので、CDショップに行っても、チェックするコーナーって決まっていたじゃないですか?
はい、好きなジャンルのコーナーに一直線で、他の棚は見ませんでした。
泉でも今はネットを開けば全ジャンルが聴ける時代なので、音楽ジャンルがグローバル化しているわけです。
なるほど、自分が良いと思えばジャンルは関係ない、というか気にしないのですね。
泉そういう傾向にあると思います。なので、アイドルと弾き語りシンガーソングライターのブッキングもしますし、今年からワイヤレスマイク4本入れました(笑)。どのベクトルでもいけますよ!
松村社内でも、オケ(楽器演奏でなくカラオケ)でボーカルっていうのは一種のタブーであり、不文律でしたが、泉がそこを取っ払ってしまいましたね(笑)。
泉従来のやり方を変えようとすると当然反発もありますが、結果を出したからいいでしょって(笑)。
ということは一時期の厳しい状況から回復したのですね。
泉はい、競合となる店も増えてきましたが、現状では半年先、土日は1年先まで埋まっています。
それはすごいですね! 泉さんの客観的な視点と決断力、なにより行動力は経営側からも頼もしいと思います。
泉もちろん背景には、音もいいし規模感もちょうどいい、良い箱だと思ったので、つぶしたらもったいない、もっとこの箱を売り込みたい、という気持ちがありましたから。おかげさまで、天窓.switchに関しては、今の音楽不況の波はあまり感じていないというか、逆に不況の流れをうまく使えたと自負しています
アーティストのライブ活動をサポートできることが何よりうれしい
次に、お二人の音楽との出会いについてお聞かせください。松村さんからお願いします。
松村高校時代にバンドをやっていましたが、夢半ばであきらめて…。某大手飲料メーカーでサラリーマンとして働いていました。
再び音楽の世界へやってきた理由は?
松村サラリーマンの頃、バンド仲間のライブを手伝っていたのですが、思いのほかスタッフ業が楽しくて、ライブツアーに同行したことがきっかけで、ライブハウスのマネージャーをやりたいと思うようになりました。そして行きついた先がここ天窓.switchでした。
超大手企業を捨て、不安定な音楽業界に戻ってきてしまった(笑)。
松村いやあ、頑張るアーティストを応援するのが大好きだということに気づいてしまって。ライブハウスという存在は、まさにフィットする場所でした。業務は大変ですけど、アーティストのライブ活動をいろんな角度からサポートできることが何よりうれしいし、ここ(恵比寿天窓.switch)に来て本当に良かったと思っています。
心から打ち込めることが、このライブハウスにあったのですね。続いて、泉さんと音楽の出会いもお聞かせください。
泉中学の頃、X JAPANのhideさんのソロCDを聴いたのが最初です。その時、すでに逝去されていて、まさか初めて好きになったアーティストが亡くなっていたなんて…、というところが始まりでした。
バンド活動もされていたのですか?
泉はい、高校時代は「けいおん!」の影響によるバンドブームが来ていて、自分もベースをやっていました。通っていた高校のあった横浜は、なにかと「高校生にイベントをさせたがる地域」だったんですよ(笑)。それで、16歳のときに自分でもイベント業を始めてみました。
16歳でイベントをうつとは!
泉といっても、最初はコピーバンドを集めたイベントばかりでしたが、18歳の頃に、オリジナルバンドを集めて本格的なイベントを始めました。その頃から、ミュージシャンの方向性とかバンドの育成、再編成など指導するようになってきました。
18歳でデイレクター能力を発揮するなんて、当時から片鱗を感じますね。高校卒業の進路は?
泉イベントプロデュースの方に進もうと決めていたので、そういう専門学校を考えていましたが、ちょうどニコニコ動画やボーカロイド等の音楽制作が流行ってきていたので、DTM系の専門学校を選びました。
バンドなどご自身の演奏活動は続けていたのですか?
泉その頃にはベースは辞めていましたが、自分のやっているイベントの広告塔となるバンドが必要だったので、僕自身がボーカルを担当するバンドを組んでいました。他のメンバーも、メインとなる自分のバンドを持っていて、いわゆる「セカンドバンド」という感じで活動していました。
あくまでイベントプロデュース志向だったわけですね。
泉そうですね。イラストレーターとかフォトショップを使った制作とかも学んだので、ホームページを作ったり、フライヤーを作ったり、CDジャケプロデュースをしたりと、そのままの流れでプロデュース業に行きつきました。
僕は「夢だけじゃ食えない、その夢を現実にする努力をしようよ!」という考え
天窓.switchにはどういった流れで?
泉フリーでフラフラと活動していた時期、イベント運営スタッフが足りないということで、天窓に仕事で来たことが、ここに入るきっかけになりました。その時は天窓のことはあまり知らなくて…(笑)。
都内で活動するアーティストにとって名門ですけど(笑)
泉はい、なのでグループ内には「天窓が好き!」といった天窓愛に溢れるスタッフも多いですが、僕は、もともとがそういうきっかけだったので、「このライブハウスが良い音で鳴っていて、良いイベントが組めるところでありたい」という感覚なんですよ。良い意味で、天窓愛がないのかも(笑)。
松村うちの会社も踏み台です!(笑)。
泉やめなさい! まぁただ否定はしないです(笑)。音楽業界って1つの場所に留まらないじゃないですか。前に一緒に仕事をした方と、別の会社同士としてまた仕事することもよくありますからね。でも、今はここ天窓.switchに全力を注いでいます。
松村泉は、発想や行動力など刺激のある、うちの飛び道具的な存在で、彼が外営業から持ってくる案件があったり、うちに出演しているアーティストがよそでやるときに手伝いにいったり、外に目を向ける風潮、土壌を作ってくれた実績もあるので、彼には完全に自由にやってもらっています。
泉考えや働き方も人それぞれで、一番結果が出やすい形がこれなのかなって。
松村まさに僕が家を守って、泉が外で働くって感じですかね(笑)。
よい具合に役割分担されて、バランスがとれているわけですね。
泉松村は人情派ですけど、僕は現実的で。ミュージシャンの多くは音楽で稼ぎたい、プロになりたいわけですよ。そこで、ライブハウスのブッカーさんの多くは「音楽で夢をみよう、ここは夢を売る場所だ!」と言うけれど、僕は「夢だけじゃ食えない、その夢を現実にする努力をしようよ!」という考えなので・・・。
突き刺さる言葉ですが、アーティストにとってはちょっとシビアですね。
泉ですよね。ダイレクトにそういう発言をしてしまうと、言われた側も受け入れるのに抵抗があると思うので、僕の至らない部分を人情派の松村にフォローしてもらっています。
お二方のチームワークあっての恵比寿天窓.switchですね。では最後にメッセージをお願いします。
泉ミュージシャンに限らずイベンターの方も好きなように使っていただきたいので「ノーカラー」をコンセプトにしています。音もよく、価格も安く、よくある派閥や囲い込みのない、風通しのいい箱だと自負しています。ぜひ、心の予防線を取っ払って(笑)、安心してご来店ください。
松村サウンド面だけでなく、演出についてもご提案いただければ、ご要望に応えられるよう万全に準備しています。アーティストさんに限らず、「こんなライブをみてみたい!」というお客様のご希望にもお答えしていきたいので、どうぞ気楽に足を運んでみてください。
本日は貴重なお話と熱いメッセージをありがとうございました。
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