ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.39
高円寺 ALONE
- 高円寺ALONE について
- 音楽と共に生きるまち高円寺に2005年オープン以来、オリジナルの表現、独演を主柱に、独自の『音』を響かせるアコースティックライブハウス。弾き語り、一人芝居、朗読などノンジャンルで、「個」を研ぎ澄まし、尖端に集中して表現できるハコ。表現者それぞれが目指す方向に一緒に向き合い、一人ひとりの歩みを後押しする。快速特急もいいけれど、時には立ち止まり、ゆっくり道草してみたい。靜に耳を傾け「わたし」が「わたし」に出逢う場所、それが高円寺ALONEだ。
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杉並区高円寺南4-6-7 シェ・ヌープラザ4F
2005@k-alone.com
アコースティックアーティスト募集(詳細)
ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 高円寺ALONE編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
本日はアコースティックライブハウス高円寺ALONEの店長、井上さんにお話をお伺いします。まずはお店オープンに至る経緯を教えてください。
僕は佐賀県の出身で平成元年に上京してきて、ライブ活動をしながら、渋谷APIA(現APIA40 ※2009年目黒碑文谷に移転)のスタッフをやっていました。APIAには16年程在籍したのちに、独立して2005年1月にALONEをオープンしました。
渋谷APIAにいらしたのですね。独立しようと思ったキッカケというのは?
いきなり空飛ぶ絨毯がやって来て、それに乗ったら独立していた…、という感じですかね(笑)。自分の店を持つために、がむしゃらにがんばってきた、という訳でもないんですよ。
すてきな表現ありがとうございます。なにか一大決心をした、ということでもないのですね。
そういうのは全くないですね。東京に来たのも、ギター一本担いで、鈍行列車にのって、各地でライブをして、不思議なエネルギーのようなものに身を委ねて辿り着いたという風で、特に狙ってそうした、というわけではないのです。ホント、流れのままにという感じです。
井上さんの人柄が伺えるエピソードですね。一方、お店のスローガンに「あなたは私を分るけど、私は私が分らない。だが、個で生まれたからには、個の世界がある。そこには独自の肉体が、言葉が、音がある。自由もある。国境もだ。放て! 掴め! 越えろ! 個のステージで!」という熱いメッセージがあります。
僕は、自分がそうであるように、人それぞれ、一人ひとりが、その人だけの世界というものを持っていると思うんですよ。アーティストは、ジャンルや固定概念にしばられず、それぞれの世界を追求して欲しいし、ALONEのステージでは、彼らが徹底的に表現に集中できる空間を心がけていてます。このスローガンはそういった気持ちのメッセージです。
多くの箱は壁やステージの大きなペイント(落書き)、オブジェで溢れていますが、ALONEはとてもシンプルです。
お客さんにも、ステージ上の出演者だけに集中していただきたいという想いです。ライブ中は客電も暗転していて、音響、照明でも個性的な出演者たちの世界にスポットをあててサポートしています。
ALONE側として、出演条件や志向など、ある程度方向は定めているのですか?
オリジナルでの独演を基本にノンジャンルですが、アーティスト1人ひとり、理想や狙いが違いますから、出演していただく前に、ちゃんと話し合って、その上で一緒にがんばりましょう、というスタンスです。
一応、出演オーディションという形になるのですか?
そうですね。お客さんにチケット代を頂く以上、最低限のハードルは越えていてほしい、という意味で、まあチューニングくらいはちゃんと出来た方がいいよね、って程度ですよ(笑)。それでも色んな方がいるので、全ての人が合格というわけにはいきませんが。私もそこまで視野が広くないので(笑)。
野球ができない鬱憤を音楽にぶつけた
それでは井上さんが音楽活動をはじめる経緯を教えて下さい。
幼い頃から音楽や歌は大好きでしたが、僕は甲子園を目指す高校球児だったんですよ。でも、肘を痛めて、思うように野球が出来ない時があって…。それで、中学の時ギターを弾ける友人を誘って、音楽活動をはじめました。
悔しさを音楽にぶつける、という感じで?
はい、(野球ができない)鬱憤を音楽にぶつけていたのかもしれないです。オリジナル曲を作って、高校の終わりにヤマハのポプコンにも出ました。
当時はどのような音楽に影響をうけていたのですか?
中高校時代に松山千春、さだまさし、チャゲ&飛鳥からスタートして、日本の古いフォーク、その後に洋楽を聴くようになりました。トレイシーチャップマン、それと、クロスロードという映画で出会ったロバートジョンソンあたりは、もうひたすら聴き込んでいました。
高校を卒業してからの進路は?
熊本の大学に進んで、野球も続けましたが、結局、音楽活動に力を入れるようになりました。ライブ活動も熊本から佐賀、長崎、福岡と徐々に広げていきましたね。熊本では6年くらい活動しました。
先ほどの「鈍行列車にのって各地でライブをしていた」というお話、もう少し詳しく教えて下さい
当時はバンドブームでしたが、僕の音楽活動は弾き語りがメインになっていました。バンドをやっていた仲間たちは、東京のライブハウスに飛行機とか新幹線で行ってくる、なんて人が多かったですけど、僕としては「それは何か違う!」と思い、鈍行列車で各県のライブハウスを廻りながら東京に向かいました。
ギター一本担いで、鈍行列車で上京
情緒たっぷりですが、むしろ時間や費用もかかりそうです。
まあ、かかりましたよね(笑)。上京する前に熊本郵便貯金ホールに300人集めて、ひとりで弾き語りライブをやって、プラスになったお金を握りしめて行きました。熊本時代はいい出会いもあり、マンスリーライブをやっていた『風街浪漫』というライブ喫茶に友部正人さんが来店されたことがあって、そこで「実は東京に行きたいんです」と伝えると、「じゃあ、東京へ来たら僕に連絡しなさい」と仰ってくれました。
それは嬉しいですね。実際に連絡されたのですか?
はい。東京に着いて、すぐに連絡しました。でも、ちょうど友部さんは北海道にツアー中で…(笑)。その際、友部さんの奥さんから、「高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺のどこかに住んでみたら?」いうアドバイスをもらって、それで高円寺に住むことにしました。
音楽の街を紹介してくれたのですね。
そういうことですね。最初は、音楽というより「なんて寺が多い街なんだ!」って思いましたけどね(笑)。
上京後は、どのように活動を始めたのですか?
「ぴあ」という雑誌を見ながら、弾き語りが出来る、活動の拠点になりそうなライブハウスを見て廻りました。地元には大きいホールかライブ喫茶みたいな所しかなかったので、東京には理想的な場所が沢山ありました。
東京には沢山ライブハウスがありますからね。相当数見て回ったのでは?
はい、15軒くらいですかね、小さくても舞台がある、という場所は全部見に行って、音や照明周りもチェックしました。その中で、最終的に、「ここだ!」と思えるところに辿り着いたのが、当時渋谷にあったAPIAです。
そのAPIAに入って16年後にALONEをオープンしたのですね。
はい、APIAのマスターとママさんから、音、照明、表現の様々なノウハウを基本から教えて頂きました。それで、たまたま高円寺のこの小さなスペースの物件に出会って、このサイズを活かしたアコースティック、1人芝居、朗読など独演形式の表現の場をスタートしようと思ったのです。
そのALONEもオープン11年目となります。高円寺は名だたるライブハウスが軒を連ねる音楽文化エリアですが、最近(客層などの)変化を感じるところがあったら教えて下さい。
若いころに音楽やアートをやっていたという人が、ある程度の年齢になって、時間と余裕ができたので、「またライブでもやってみようか」という方は目立ってきましたね。といっても、高円寺には個性的なハコがいっぱいあるので競争率は高く、どのように取り込んでいくか…。大変な部分です(苦笑)。
ALONEの出演アーティストやお客さんのメインなる年齢層はどのあたりですか?
平均すると35歳ぐらいでしょうか。以前のライブハウスは若い人が集まる、典型的なピラミッド型の年齢分布でしたが、今は…、特にうちに関してはダイアモンド型の年齢配分になってるように思います。
ミドル世代が多いのですね?
そうですね。平成生まれの方々にもがんばって欲しい所です(笑)。私も子供がいるのですが、「周りにギターとか楽器を弾いている人いる?」と聞くと、「ギター弾ける友達なんていないよ」と言われます。なんか心配になりますよね(笑)。
昔より娯楽が増えましたから、楽器に触れ合うことも少なくなったのかもしれないですね。
それは間違いないですね。
1人1人それぞれが目指す方向に一緒に向き合う
ALONEの運営で心がけていることがあれば教えて下さい。
音響はもちろん、視覚も大事な要素だと思っているので、出演者個々の表現を惹きたてる照明ができるよう、音楽のみならず、ダンスなど様々なステージの照明、テクニックを日々学んでいます。
照明は注文しづらいハコもあるので、出演者としても大変ありがたいです。
例えば、「青い空だ」という歌に、青い照明をあてるのは簡単です。でも、力強く「青い空だーー!!」と表現する人だったならば、熱い気持ちにあわせて、あえて赤の照明を「バーン!」と当ててもいいと思うんですよね。もちろん、ちゃんと台本ももらいますし、打ち合わせをして、その上での「赤!」とするわけです。そういう取り組みを、お客さんに感じていただきたいです。
井上さん自身が表現者として参加しているという感じですね。
そういう部分はありますね。集中力の限界があるので、1ステージ30分で1日2、3組くらいがベストだと思っています。それ以上になると、お客さんも集中できないと思うので。
そうですね、確かにブッキングで5組出演となると、ちょっと厳しく感じる人もいると思います。
イベントで出演者数が多い時は15〜20分でやってもらうようにしています。あまり長すぎると、目当てのアーティストだけ観て帰ってしまうので。せっかく来ていただいたからには、他の出演者も楽しんでもらいたいですね。
それでは最後にALONEからのメッセージをお願いします。
冒頭のスローガンにもありますが、高円寺ALONEは1人1人それぞれが目指す方向に一緒に向き合います。「恵まれない国の子供たちを笑顔にしてあげたい」という人もいれば「メジャーデビューしたい」という人もいるでしょう。それぞれの目標や夢に向かって、ライブを通して近づいてほしいです。ALONEを、その足がかりの一つとしてくれれば幸いです。そして、一人でも多くのお客さんに、ALONEの出演者1人1人の表現を味わって頂いて、新しい発見、楽しみ、悲しみというものを自由に感じて頂きたいです。
熱いメッセージをありがとうございます。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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