ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.32
吉祥寺 CRESCENDO
- 吉祥寺CRESCENDO について
- 吉祥寺で長い歴史を持つライブハウスの一つ。五日市街道沿いの白いビル地下で、ポップスからデスメタルまで、多彩なバンド・アーティストがステージで熱く躍動する。ハードなパフォーマンスを支える音響や、スタッフのサポートも万全。12歳でメタル・ビジュアルに目覚め、自らメタルバンドでメジャーデビューしてメタル活動をしていた店長のmikio氏による「メタル愛」が詰まった『吉祥寺CRESCENDO』は、インディーズメタルライブハウスの聖地として注目を集めている。
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- 吉祥寺CRESCENDO公式サイト
武蔵野市吉祥寺東町1-25-24 サンパレス東町B1F
TEL: 0422-22-8561
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ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 CRESCENDO編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
本日は吉祥寺クレッシェンド店長のmikioさんにお話を伺います。メタル箱として有名ですが、まずはお店の歴史をお願いします。
歴史については「かなり昔からある」としか言えないんですよ。僕で店長が3、4人目で、オーナーも3、4人目なんです。僕がバイトを含めクレッシェンドに関わり始めてから、もう20年くらい経つんですけど、もっと昔は名前が違った時代もあったみたいなので、一体いつから始まったのかよくわからないんです。
オーナーさんですら、その起源を知らないとは(笑)。
今はもう僕より古い人がいないんです。なので、老舗のライブハウスがよくやる『何周年記念イベント』とかもやってないんですよ(笑)。
メタル系バンドのメッカとして有名なハコだけに驚きです。
実は、クレッシェンドにヘヴィメタル系のハコとしての印象が強く付いたのはここ数年です。もちろん、それ以前もメタルはやっていて、20年前から今も続いているメタルイベントなんかもあるのですが、基本的にはオールジャンルでメタル一本という感じではなかったんです。僕が店長になって5年くらいの時期に、明確にメタルに力を入れ始めました。
なぜ、メタルを強化していったのですか?
まずは僕自身メタルが好きだし、自分が通ってきた道なので。それと、ライブハウスとして差別化していく必要性を感じたからです。毎年たくさんのライブハウスが潰れて閉店しています。かと思うと、新宿、渋谷、下北沢みたいな大きな街だと、新しいライブハウスがどんどんオープンしています。
はい、ライブハウス戦国時代のようだと思います。
昔のライブハウスは、デモ音源審査やオーディションライブを通ったバンドだけがステージに立てるような、狭き門でした。それが、今ではライブハウスが増えすぎて「出演バンド集め合戦」になってしまった。その結果が、ライブハウス生き残り戦争になってしまいました。
多くのライブハウスに共通する悩ましい状況ですね。
多くのバンドを集めるために、オールジャンルで出演者を募る。オールジャンルって聞こえはいいけど特色が見えない。ライブハウス生き残り競争では、まあ、バンドも人間もそうですけど「どこに個性を持つか?」という色付けを明確にしないと生き残れないわけです。
ライブハウスとして独自のカラーをもつため、僕が好きなメタルに特化した。
それで、mikioさんが歩んできたメタルの方向に舵を切ったのですね。
全てのライブハウスがオールジャンルってアプローチしかしていなかったら、まずは立地、それから、店内の様子や音響で選ばれると思うんです。そうなると、うちはまず、吉祥寺に10軒以上あるライブハウスの中で駅から1番遠い。だから、立地条件で圧倒的に勝てない。音の良さには定評がありますが、それだけでうちを選ぶ理由にはならない。だから、他店のライブハウス以上に独自のカラーをもつ必要があったんです。そこで、僕が好きなメタルに特化する方向にしたわけです。
独自カラーの打ち出しに成功したわけですね。
今の所、なんとかなっています(笑)。でも、最初はオーナーに反対されました。オーナーからは「メタルのイメージがつくと、メタルが衰退した時に一緒にお店も沈むから、やめた方がいいんじゃないか?」と言われました。でも、それなら「メタルシーンが沈まないようにすればいいんじゃない?」って思ってるので。だから、現実的にはメタルシーンに沈まれると困ります(笑)。
メタルというジャンルは「いつかなくなるだろう」と言われてきましたが、ジャズやクラシックと同じくらいオーソドックスな存在になってきています。
ヘヴィメタルは古典的なスタイルのみで生き残るだけでなく、その時代時代で新たな様式が派生して、枝分かれして、それこそBABY METALみたいにアイドルがメタルを取り入れたということも含めると、ヘヴィメタルの要素はなくなることなく、これからも次世代に引き継がれていくと思います。なので、ライブハウスとしてここに特化することに悪い影響はないのかなと思います。
結果的にクレッシェンドはメタルのハコとしての強烈な存在感を確立しています。
そうですね。ヘヴィメタルのライブハウスとしての認識は相当強くなったと感じます。だからといって、さすがにメタルバンドだけで全日程が埋まる訳じゃないので、他のジャンルのイベントも力を入れてやっています。ポップス系の良いバンドもたくさんいますよ。でも、メタルが好きじゃない人には「あそこはメタル箱でしょ?」って言われちゃいます。やはり、良い面も悪い面もありますね。
みんな、なんでライブハウスをやりたいのかわかんない(笑)。
先ほども話に出ましたが、都内でも新しいライブハウスがどんどん出来ていますが、これについてはどうお考えですか?
みんな、なんで新たにライブハウスをやりたいのかわかんないですよ(笑)。毎年、何軒も潰れているのに、新たに何軒もできている所を見ると、なにかしらの魅力があるのかな、と思いますが…。同業者としては「これ以上増えるな!」とは思いますけどね(笑)。
ライブハウスを持つというのは一つの夢で、店を持ちたいと思う人は多いのではないでしょうか。
儲からないから、やらない方がいいと思います(笑)。普通に儲かってたら、人並みの給料をもらってますよ。ライブハウスの人たちは、同じような年で、大学出て、サラリーマンになった人の年収の半分以下だと思いますよ。
現実は厳しい世界ですね…。
結局、最近出てきてる新店舗って、系列店がほとんどじゃないですか? ライブハウスを複数店舗持っているか、スタジオを持っているか、そういう割と大きな会社が出してると思います。東京だけじゃなく、他の都市で店舗を出しているとかね。ちなみにうちは何も系列がないんですけど(苦笑)。
そうですね、実は他店舗展開している会社だったり、またはまったく別業種会社が母体だったりするライブハウスのオープンは多いですね。
うちみたいな、独立した一匹狼の会社は少ないですよ。だからこそ独自の色が必要。目黒鹿鳴館とかWlidSide Tokyoとか、同じように系列店がないライブハウスの方が、生き残るために特色を出しておもしろいことをやっているんですよ。
丁度前回、WlidSide Tokyoの高長さんを取材させてもらったんですよ。過激で面白かったです。
あの人は人間そのものが面白いです(笑)。(※Vol.30 新宿 WildSide Tokyo)
鹿鳴館もメタル・ハードロック総本山として明確なカラーがありますね。
鹿鳴館には、自分が現役の時にお世話になりました。PEPE(店長 山口高明氏)さんとは今でもお話しさせてもらっています。(※Vol15 目黒鹿鳴館)
どちらも、系列店があるライブハウスにはない個性があるハコですね。
そう思います。それと、系列店のあるライブハウスの店長やスタッフはその店が閉店しても、それこそ姉妹店に異動すればいいですが、僕らは職を失いますからね。特に、上の立場になると、自分だけじゃなくて、スタッフ一同みんなの生活を抱えている状態ですから。
スタジオキッカ(吉祥寺の音楽スタジオ)を取材した時に、クレッシェンドとは、お互い系列店をもたない店舗として協力関係にあると言っていました。
キッカのオーナー長竹さんがメタルドラマーでもありまして、うちにも出演していて、仲良くさせてもらっています。スタジオ立ち上げの相談や、バンドの面倒を見るなど、お互いのメリットが共通するように働きかけています。
では次に、気になるmikioさんの音楽遍歴を聞かせて下さい。
地元は群馬で、家が音楽一家なんです。音楽教師の元に生まれて、母親も家でピアノ教室をやっていたので、ジャンル的にはクラシックの家で育ちました。なので、音楽自体は身近にずっとあったんですけど、クラシックにハマる訳でもありませんでした。人並み以上に反抗期を迎えたりしながら、メタルを聴き始めたのが12才の時です。
人並み以上の反抗期(笑)。しかもメタル開花も早かったですね。
教育がすごい厳しくて、100点じゃないと怒られるような家だったんです(笑)。三ヶ月後に中学生になるという時期に、、英語の授業のためにカセットテープでヒアリングができるようにと、ラジカセを買ってくれたんです。そのラジカセで、全米TOP40的な洋楽を聴くようになりました。当時はマドンナとかが売れていたと思うんですけど、僕はギターが歪んでる音楽に反応したんです。そんな折、親父がCD屋に行くということで、付いて行った際、派手でかっこいいメタル系のCDをジャケ買いしました。それはシンデレラというバンドのファーストアルバムでしたね。
12歳で初めて観たライブがラウドネス、14歳でX。
シンデレラがメタルデビューだったんですね。日本のビジュアル系に近いバンドでしたよね?
そうです。ビジュアル系とかジャパニーズメタル等に近いハードロックですね。親父もビックリしてましたが、そこから人生が狂いました(笑)。初めて観たライブが12歳でラウドネスでした。二回目に観たライブは14歳でX(X-JAPAN)でした。
12歳でラウドネスのライブ!
そこからメタル・ビジュアルまっしぐらで、中学の時は小遣い全部CDにつぎ込んでいました。15歳の時にベースを始めて以来、ずっとバンドをやっていて、18歳のときに上京し、東京に来て今に至ります。20代半ばまでは尻まである金髪でしたし、21歳でメジャーからデビューもしました。
実家本流のクラシックの方は?
ピアノは18歳までやってました。音楽大学も受験させられたので、それくらいの実技と知識はありますよ。でも当時は、嫌で嫌でしょうがなかったですね。高校生の時から髪も伸ばしていたので、音大受験の面接で「なんで髪が長いんですか?」って聞かれましたよ(笑)。
どういう風に切り返したんですか?
「何か問題ありますか?」って(笑)。おかげで、実技、楽典は合格点が付いていたのですが、面接だけがBで落ちました。受かったら晴れて大学生で、親の望んだ道かもしれないけど、僕はその道には行かず、その代わり「東京に行って22歳までに結果出すよ」といって上京したんです。21歳の時にメジャーで出したので、「俺の勝ちだね」、ってことで、それからずっと東京にいます。
Xを頂点とした体育会系にいたので、挨拶を含めた礼儀の部分を大切にしている。
クレッシェンドの運営で心がけていることやメッセージなどありましたらお願いします。
僕は、X(X-JAPAN)を頂点としたメタルバンド体育会系にいたので、お客さんに対する愛想のよさや、挨拶を含めた礼儀の部分を大切にするようにしています。これは、うちのスタッフたちにも常々伝えていることです。サービス業としての当たり前の部分だと思うんですよ。
スタッフに愛想のないライブハウスはちょっと緊張しますからね。
昔は、ライブハウスって怖い所だったり、店員さんの愛想が悪かったりすることが多かったんです。でも、僕は、そういう場所が大っ嫌いでした。今でもそういうライブハウスはありますが、自分のお店では絶対にそんな風にはしたくないです。うちは、当日の出演バンドのお客さんだけでなく、時間つぶしに遊びに来てくれる方も多いんです。そんな風に、お客さんにとって居心地の良い場所であり続けたい。
ライブハウスの居心地の良さはかなり重要な要素です。
また各バンドのプライベートに至るまでの相談事なども、親身になって話を聞くようにしています。キッカさんの相談なんかもそうですよね。自分たちと一緒に仕事をしたい、と言ってもらえるような環境作りを常に心がけています。
明確な特色づけ、居心地の良さ、長くライブハウスを続ける秘訣ですね。
ありがたいことに、お客さんもここ数年増えてくれているので、良い方向に進んでいると思います。
本日はありがとうございました。これからも、クレッシェンドの過激なメタルシーンの発信に期待しています。
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