LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.35

吉祥寺SHUFFLE

吉祥寺SHUFFLE について
吉祥寺・末広通りに2007年オープンしたGATEWAY系列のライブハウス。店長の中嶋氏は、グッドモーニングアメリカ、Charisma .com、大森靖子、moumoon等、国内外のLIVEツアーに同行する第一線のPAエンジニアで、自らもDJゴエモン(タナシンドローム)として活躍中(主に、ROCK IN JAPAN / COUNTDOWN JAPAN 等に出演)。徹底して現場主義を貫き、その並外れたバイタリティと移動距離をして『日本一、行動力のあるライブハウス店長』を自負。東西南北あらゆる人と音楽カルチャーを「シャッフル」し、シーンに新しい風をもたらす。
吉祥寺SHUFFLE へのお問い合わせ
吉祥寺SHUFFLE 公式サイト
武蔵野市吉祥寺南町2-6-10 フジパームビルB1F
TEL:0422-42-2223

出演バンド・ホールレンタル募集中

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 吉祥寺SHUFFLE編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

吉祥寺SHUFFLE店長 中嶋 優氏

本日は吉祥寺SHUFFLE店長、中嶋さんにお話をお伺いします。まずはオープンの経緯から教えてください。

当店は渋谷DESEO乙-kinoto-高田馬場CLUB PHASE、渋谷TaU KITUCHEN(※2008年5月末閉店)に続くGATEWAYグループ系列店のライブハウスとして2007年にオープンしました。それまで、僕はDESEOでスタッフをやっていましたが、吉祥寺によい物件が出たということで、ここに移動してきました。

オープニング店長に抜擢されたのですね。

はい、そうですね。ずっと自分のライブハウスを持ちたい、とオーナーにも話をしていました。ちょうどタイミングが良く物件が見つかって、新しいライブハウスをつくろうということになったので、僕が店長をやることになりました。

ある程度オープンの準備は整っていたのですか?

いや、それがまったく、でして…。まず、新店舗でのスタッフは僕しかいなかったんで、スタッフを探す所から始まりましたよ。当時、渋谷DESEOに出演してくれていたアーティスト達にも声をかけて、スタッフを募集しました。

オープンの準備期間も短かったんですか?

2007年4月に物件が決まって、「6月にはオープンして」と言われたので、実質2ヶ月しか準備期間がありませんでした。

準備ゼロから2ケ月でオープンはかなり忙しいスケジュールですね。

ここはSHUFFLEが入る前もライブハウス(吉祥寺Be・Point)だったので、居抜きで使えればよかったのですが、防音もしてなかったので結局全部解体して、ホールも一から作ることになりました。毎日、吉祥寺に来ては工事の進行具合を確認しつつ、合間に、スタッフを探していました。そして、6月19日にプレオープン、7月7日にグランドオープンすることができました。

埼玉育ちで、吉祥寺には全く縁がなかった

渋谷のライブハウスから吉祥寺に移ってきた感触はどうでしたか?

僕は埼玉育ちで、実際のところ吉祥寺には全く縁がなくて「吉祥寺ってどこ?」みたいな感じでした(笑)。 ただ、印象としては、吉祥寺(武蔵野市)は、程よい地方感もあるので、渋谷などの都心ではできないことが出来るのかなと思いました。

曼荼羅をはじめ、老舗ライブハウスがひしめく吉祥寺でSHUFFLEはかなり新しいライブハウスですよね。

はい、吉祥寺エリアでウチは新参でして、ライブハウスができたのも何年か振りかだったらしいんです。それまで培われてきた文化を壊すつもりはなくて、僕たちが入ることで、吉祥寺のシーンに新しい色を持って来れたらって考えていました。

特化しているジャンルはありますか? 吉祥寺のライブハウスは個性的で、たとえばクレッシェンドはメタル専門だったりしますよね。

そうですね、それぞれの箱に特色がありますね。ライブハウスのカラーを打ち出したほうがお店としてはやりやすい部分もあると思いますが、「色々なものが混ざる」というイメージで、日によってジャンルが変わるようにしたいと思ってます。

なるほど、それで「SHUFFLE」なのですね!

それと、学生イベントやサークルイベントでの利用が多いのは特徴ですね。吉祥寺に学生が多いということもありますが、他のライブハウスと比べても多いと思います。学生さんに箱貸し(ホールレンタル)するときは、イベントのタイムテーブルから一緒に作ることもあります。

それは心強いですね。箱貸しはスタッフとの距離を感じるところもありますからね。

おかげで何年も使ってくれている大学もありますよ。部長が変わって代変わりをしても、その都度紹介してもらえるので、密にコミニュケーションを取りながら、サポートができますし、長く定着しているイベントも多いです。

クオリティを重視。値下げ合戦には参加しません

箱貸しを定期利用してもらえるとライブハウスの経営的にもよいですしね。

定期的に使ってもらっていますが、実は意外に、SHUFFLEって他のライブハウスに比べても値段は高いんです。もっと大きな箱で同じくらい、もしくは、うちより安かったりします。値段を下げるより、スタッフのクオリティや音のクオリティを重視していますので、値下げ合戦には参加しません。

値下げに走らず、適正価格での提供は業界にとっても良いことだと思います。

まあ、他が安すぎるんですよね(笑)。僕自身、照明とかPAの現場上がりなんで、このキャパにしては、良い照明も入っていますし、システム面でもがんばっていますよ。

それでは続いて、PAエンジニア、DJとしても活躍中の中嶋さんの音楽遍歴を教えてください。

実は、僕はバンド経験ほぼゼロなんです。趣味で高校生の頃にやっていたくらいで。どちらかというと見に行くほうで、ずっとライブハウスキッズでした。育ちが埼玉県の深谷で、当時、近所に「熊谷VOGUE」というライブハウスがあって、毎週通っていましたね。今はヘブンズロック(HEAVEN'S ROCK 熊谷 VJ-1)っていうお店に名前が変わってしまいましたが。

ライブカルチャーが盛り上がっている土地柄だったのですね?

すごくいいバンドがホントたくさん出てたんですよ。小学校の先輩が、MORTAR RECORD(モルタルレコード)っていうのをやっていて、そのイベントをよく観に行っていました。GOING STEADYHawaiian6マキシマム ザ ホルモンPOTSHOTニューロティカが出ていて、特にニューロティカは好きでした。

おお、熱すぎる! しかしニューロティカはあらゆるところで名前が出てきますね(笑)。

確かにそうですね(笑)。いまだに大好きです。ライブハウスに通う前まではビジュアル系を聴いていたんですけど、ライブ行き出してからは青春パンクからロック系ですね。

ちなみにビジュアル系はどのあたりを聴いていたのでしょう?

ROUAGEとかDIR EN GREYですね。それで文化祭とかでコピーバンドとかやったりしたんですけど、熊谷VOGUEに通うようになって、ライブハウスで働きたいなあと思って、高校2年の始めくらいで専門学校に行こうと決断しました。

北浦和のライブハウスで時給500円からのスタート

高校で進路を明確に定めたのは早かったですね。

早かったと思います。音楽雑誌を見ていると、「音響エンジニアはライブがある限り絶対に必要な職業です」って書いてあったんです。ライブはなくならないので、食いっぱぐれがないなあと思って、音響の道を選ぼうと思いました。そのまま専門学校に入って、1年生の時には、埼玉の北浦和にあるライブハウスで働きはじめました。時給500円とかでした(笑)。

自給500円(笑)。ライブハウス、さすがです…。

かぎりなく最低賃金でしたね(笑)。昼間、専門学校に行って、夜はライブハウスに行ってという毎日を繰り返していましたよ。

若いうちから決断の早さには感心させられます。

楽器ができないので、音響の方に進んで、ライブハウスの店長ならできるのかなあ、と思ったということもあるんですけどね。でも当時、働いていたライブハウスは、仕事のセクションがわかれていなくて、全員がブッキング、受付、ドリンク、照明、PAを全部やるという環境でした。21歳くらいまで3年間働きました。3年目にはチーフになったんですけど、やっぱり都内のライブハウスで働きたいと思って渋谷DESEOにPAとして入りました。

順調にキャリアップしてきましたね。

それで「店長をやるにはどうしたらいいですか?」と尋ねたら、「店長やりたいならPAだけじゃ無理だ」と言われたんです。なので、「自分はブッキングもできます!」と伝えて、両方やることになりました。当時、埼玉のライブハウスに出ていたバンド達と仲が良かったので、彼らの中で都内のライブハウスに出たい、というバンドを呼んでイベントを組んだりしていましたね。

お店からしたら「即戦力が来た!」という感じだったのでは?

かもしれませんね(笑)。そのあと、23歳の時に立川でライブハウスやるかって話があったんですけど、それはポシャっちゃって駄目でした。その半年後くらいに物件が出たので、ここSHUFFLEの店長をやることになりました。その頃が24歳ですね。

店長としては相当な若さですね。これだけの行動力、経営のコツなどあれば教えてください。

とりあえず、やってから考えるという感じです(笑)。もちろん、消えてゆくライブハウスも多々あるので、明日は我が身だと思ってやってはいます。先ほどの箱貸しの例のように、何事もスタッフも一緒に絡めるようにしたいと思ってます。ただ貸して「はい、お疲れさまでした〜」であれば、どこのライブハウスでもいいじゃないですか。

あらゆることに徹底して参加するということですね。

僕に限らず、うちのスタッフも同じで、何かしらでコラボできるようにと、常に話し合ってますよ。 「あそこのライブハウス、なんかやりたがるらしいよ、ただ貸してはくれないらしいよ!」みたいな(笑)。

音楽のライブに限定しません、何でもオッケーです。

スタッフも一緒に盛り上げてもらえれば嬉しいと思いますよ。

それと、ウチでは音楽のライブに限定していないんです。何でもオッケーです。面白い例では、「24時間桃鉄(桃太郎電鉄)」っていうイベントもやりましたよ(笑)。4人のゲームプレイを、お客さんがお酒を飲みながら観戦していました。

ライブハウスで桃鉄! それは盛り上がりそうです。しかもお客さんが来るなんて、なんか嬉しいです。

結構来てましたね(笑)。最近だと「ライブハウスで映画を観よう」というイベントも始めました。吉祥寺にバウスシアターという小さなが映画館があったんですけど閉館してしまったので、昼間にウチで見られたらいいよねってことで、今も続けています。音楽だけじゃなくて、いろいろ面白いことやってるなあ、って思ってもらえるといいですね。

せっかくスペースと設備があるのでライブだけじゃなくてもいいですもんね。

結婚式をしてくれる人もいましたよ(笑)。もちろん、音楽のライブの方も熱いですよ。ワンマンライブをやるような動員のあるアーティストにブッキングでも出演していただきたいと思って、よく交渉しています。意外にOKが貰えることが多いのでうれしいですね。1番熱かったのは、Coccoさんの2daysアコースティック編成とフルバンド編成ですね。

おお、Coccoがブッキングライブで2daysとは贅沢ですね。

とりあえずは聞いてみようという所から始まりますね。Coccoさんに限らず、実際「マジかよ!?」みたいな驚きもありましたよ(笑)。ちなみに、2daysのうち1日は、根岸孝旨さんの誕生日イベントでフルバンドで出演して頂きました、

それでは最後となりますが、SHUFFLEからのメッセージをお願いします。

みなさんの中で「これ、やってみたいなあ…、こういうイベント考えてるんだけど…」などなど、少しでも興味があることがあれば、僕たちに声をかけてください。ぜひ一緒にやりましょう! 多くの方にご意見をいただいて、吉祥寺SHUFFLEらしいイベントを作っていきたいと思います。

吉祥寺SHUFFLE、中嶋さんの活躍に期待しています。ラストに、この素敵なバックステージパスを紹介して終わりたいと思います。本日はありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2016年5月)

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