LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.109

VUENOSは2020年5月をもって閉店し「clubasia」に運営統合されました

SHIBUYA VUENOS

渋谷VUENOS について
1998年3月にオープンしたclubasia系列の老舗クラブ・ライブハウス。VUENOS(ヴエノス)が誇る熱いLIVEステージと大迫力サウンドのB1メインフロア、吹き抜けの1Fラウンジはゆったり過ごせるチルアウト空間。ふたつの表情をもつ空間で、HIPHOPを軸としたクラブカルチャー、昼夜問わず時代を超えて紡がれる「VUENOSの音楽」を伝える。ブッキングマネージャー山崎敦博氏(DJ ATSU)のDJ愛あふれる運営も特筆。道玄坂からランブリングストリート徒歩1分、しぶや百軒店アーチが目印。
渋谷VUENOS へのお問い合わせ
渋谷VUENOS
[閉店] 渋谷区道玄坂2-21-7 第8矢澤ビル1F・B1
TEL:03-5458-2551(受付時間 15:00-23:00)

クラブ&ライブハウス中の人に話を聞いてみた〜 渋谷VUENOS 編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

渋谷VUENOS 山崎敦博氏(DJ ATSU)

本日はVUENOS(ヴエノス)ブッキングマネージャーの山崎敦博さんにお話をお伺いします。「VUENOS」は渋谷を代表する老舗クラブとして有名です。山崎さんがブッキングを担当したのはいつごろですか?

入社したのは2016年です。会社設立が1995年で、VUENOSのオープンが1998年なので、立ち上げやこれまでの歴史について僕が詳細を語れることは少ないのですが…。

山崎さんはDJやアーティストとしても活動されていますね。

はい。VUENOSでも1999年からPLAYしていましたし、DJデビューしたのは、恵比寿MILKを経て、向かいにある同じエイジアグループのclubasiaです。

当時のクラブシーンはどのような感じだったのですか?

VUENOSはオープン当時から盛り上がっていました。2000年代に最初のピークともいえる時代が来て、clubasiaHARLEMさんなどの他店もふくめ、渋谷全体が一大隆盛期だったと思います。

一時期、クラブシーンへの風当たりが強い時期もありました。

そうですね、法律的な問題やヒップホップシーン独特の行儀の良くない部分が原因で、営業できない時期があったり(苦笑)。いいときも悪いときも、DJ、イベンターとしても、印象深いクラブであったことにはまちがいありません。

現在VUENOS、clubasiaともにバンド界隈でも有名な箱ですが、ルーツはクラブカルチャーにあるのですね。

現在は前半(DAY TIME)にライブ、後半(NIGHT TIME)にクラブイベントという流れが定着しています。

そのclubasiaさんを含め、(エイジアグループは)複数の箱を運営されています。どのような違いがありますか?

VUENOSの傾向としては、クラブイベントではほとんどがヒップホップR&Bやレゲエのイベントで、それに比較するとclubasiaはヒップホップの他にハウス、テクノまで幅広いジャンルのイベントが楽しめるという感じです。

これまでも、これからも"VUENOSの音楽"をちゃんと伝える

渋谷界隈をはじめ多くのクラブがあるなか「VUENOS」の特徴をおしえてください。

VUENOSは一貫してヒップホップR&B、レゲエに特化しているという意味では他と一線を画しています。

ブレない姿勢で、渋谷を象徴する箱のひとつとして20年以上の歴史を刻んできたのですね。

そう思います。ちゃんと「VUENOSの音楽」を伝えていく姿勢は、過去、現在、そしてこれからも変わりません。

つづいて、山崎さんと音楽との出会いをおしえてください。

当時、流行っていた光GENJIからサザンやミスチルなどの歌謡曲はもちろん、ビートルズやカーペンターズなどの洋楽、中学・高校時代はメロコアやアシッドジャズを聴いていました。

現在の山崎さんのルーツにもなっているヒップホップを聴きはじめたのは?

当時からとくにジャンルを強く意識していたわけではないのですが…、強いて言えば高校時代?に観た『JUICE』という映画の挿入歌でヒップホップが使われていたのが印象に残っています。

バンドを組もうとは思わなかったですか?時代としてはバンドブームでもあったと思います。

自分で楽器を弾くことへのセンスを感じなかった(笑)。それより、CDやカセットデッキ、スピーカー、レコードプレイヤーなどオーディオに興味がありました。アナログレコードも集めていて、当時からアナログの音は好きでしたね。

ということは、高校時代までは現在の音楽活動につながるようなことをしていたわけではないのですね。

はい、大学進学にいたっても「渋谷に近い」という条件で受験校を絞っていたという(笑)。将来のビジョン的なものは、渋谷で遊んでいれば見つけられるのでは?という感覚で(笑)。

なるほど(笑)。

それで、駒澤大学に進学しました。まあ、本当は地元が千葉なので、都心への憧れが強かったというのもあります(笑)。

エスカレーターに機材を両手に抱えて持って帰った

そろそろ、DJとして活動する将来を決定づける「何か」が起こる気配が…。

はい、決定的な出来ごとがあります。大学生活がはじまってまもなく、渋谷の楽器量販店で「DJ Q-Birt」という世界的に有名なDJのビデオが流れていて、我を忘れて2時間くらい立ったままで観ていたことがありました。

楽器屋の店頭でアーティスト映像を流しているモニターですね。

あまりの衝撃に、そのモニターの下に並んでいたターンテーブル2台とミキサーのDJセットを20~30万円のローンでその場で買ってしまいました。エスカレーターに機材を両手に抱えて持って帰ったことを鮮明に覚えています。

いまとなっては、すばらしい衝動買いになりましたね。

ただ音響機器を見に来ただけなのに(苦笑)。でも、あの日、あの楽器屋さんに行っていなかったら、DJはやっていなかったなと思います。

その日を出発点にして、本格的にDJ活動を開始した?

はい。当時、大学内にはレコード袋をもっている学生もいましたし、さまざまなジャンルの学生DJが5人いたので一緒に練習したり、刺激しあったりしていました。それから、恵比寿にあったMILK(2007年12月閉店)というクラブで初めてイベントを打ち、そのイベントでは300人くらい動員がありました。

それはすごい!将来のビジョンを見つけてから順調に活動を広げていますね。

つぎは、憧れでもあったclubasiaでイベントを打って、それも大成功でした。そのときに自分もDJとしてデビューしました。DJ仲間も増えてきてイベントを数多く手がけるなか、25歳ごろからDJで食べられるようになり、プロDJとして15年くらいやってきました。

プロのDJとして活動している山崎さんが、エイジアグループに入ることになった経緯をおしえてください。

2012年ごろ、地域を超えて若手DJが交流できる「DJ's SUMMIT」という企画を立ち上げました。後進の育成やクラブシーン発展の手応えはあるものの、すべて自費でやったので、どうにもお金がかかる。自分の持ち出しが大きすぎる(苦笑)。

都内以外で活動するDJにとってはうれしい企画ですが、たしかに予算がかかりそうですね…。

だから2回目の開催にあたってはclubasiaに相談に行きました。当時の部長が「DJ's SUMMIT」を評価してくれて、世界的な酒販メーカーもスポンサーについてくれました。それから、DJ、イベンターとして一緒に仕事をしていくうちに交流が深まり、VUENOSのブッキングマネージャーを担当することになりました。

アーティストや主催者の負担が軽くなるサイクルをつくる

育成やクラブシーン全体の盛り上げにも積極的に取り組む姿勢はDJやクリエイターにとって心強いと思います。

VUENOSには、自慢のDJ、イベンター、アーティストが大勢います。もっと多くの人に、ここにたどり着いてもらい、音を感じてもらいたい。演者や主催側の負担が少しでも軽くなるように、お店に来ていただいたお客さまに繰り返し足を運んでもらえるようなサイクルを店側でも作っていかないと。

山崎さんはDJとしても、東京渋谷のクラブシーンがエネルギーに満ち溢れていた時代を経験していますからね。

その盛り上がりの魅力は伝えたいですね。具体的な人数でいえば、500人くらいのキャパですが、週末なら入れ替わりで1,000人を超えるイベントもしょっちゅうありましたので。

VUENOSとしての課題や取り組んでいることはありますか?

22年の歴史があるだけに、外観、内装と至るところが傷んできていています。最近の新しいお店はどこもキレイですよね…。だから、照明、バーカウンター、お手洗いなどハード面でもお店としての総合力をつけていけば、まだまだ伸びしろのあるクラブだと思います。

多方面でのさらなるアップデート、期待しています。それでは最後にVUENOSからメッセージをおねがいします。

いま、お話したように、老舗クラブゆえの課題も把握している一方、いちばん重要な音楽的なところ、音響的なところには絶対の自信をもっています。イベント内容も最新のものからクラシックなものまで、日本語ラップも含め、DJもライブアーティストも、自分自身がアンテナを張って、すばらしい音楽を提供してくれるアーティストを招聘しています。ぜひ遊びに来てください。

山崎さんのDJやアーティストサイドに寄り添ったブッキング、クラブ運営の姿勢が伝わったと思います。次回は、そのエイジアグループの1号店「渋谷clubasia」も取材させていただく予定です。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2020年2月)

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渋谷円山町にclub asia(1996年3月)、通りを挟んだ道玄坂にVUENOS(1998年10月)LOUNGE NEO(2002年11月)Glad(2010年2月)の4店舗を運営。日本のCLUBシーンの礎となるダンスミュージック文化構築に貢献し、CLUB&LIVEの両面でシーン最先端のサウンド・エンターテイメントが楽しめる。
渋谷百軒店(ひゃっけんだな)
渋谷百軒店(ひゃっけんだな)
1924年、下町の名店を誘致し「百貨店」のような都市空間を再現しようと、西武グループの創始者・堤康次郎によって関東大震災後に計画された商店街。かつての花街・円山町に隣接する道玄坂二丁目にあり、60〜70年代の渋谷サブカルチャー中心地。猥雑さと隣り合わせに、由緒ある千代田稲荷神社やレトロな名曲喫茶が路地に佇む、ノスタルジックな面影を残す大人の隠れ家的エリア。
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