LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.21

渋谷 THE GAME

渋谷THE GAME
渋谷THE GAME について
2015年で12周年。その間、二度の閉店と移転をしては復活する不死鳥のようなライブハウス。その足取りには並々ならぬ思いと体験が刻まれている。代表の齋藤氏は「まだ老舗とは言えないけど、ここまで胸を張って歴史を積み重ねてきた。自分で言うのもなんだけど、最高のハコです!」と断言するように、その壮絶な経験は、このライブハウスを日本屈指のストリートカルチャー箱にまで昇華し、今現在も尚進化中である。
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渋谷THE GAME

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜渋谷THE GAME編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

渋谷THE GAME 代表 齋藤 浩一 氏

本日はよろしくお願いします。以前は別の場所にあったと思いますが、そのあたりの経緯も含め齋藤さんとTHE GAMEの出会いから教えてください。

THE GAMEに入るまでは少しばかり経緯があるのですが、僕にとってはTHE GAMEは3件目のライブハウスです。入った当時は宮益坂にあってヒップホップのメッカのようなハコでクラブとして運営していました。それが2008年の5周年のタイミングを期にライブハウスとしてのスタンスもとることになって、そのためのスタッフとして入りました。

確かに以前THE GAMEはライブハウスというよりはクラブの印象でした。

スタッフとして入ったものの、当時のTHE GAMEはライブハウスとしては全く認知されてないしライブ用の機材も全く揃ってない。僕だけが唯一のライブハウス経験者であとのスタッフはみんな全くのライブハウス未経験者、という状態でした。

マンガの設定みたいだ…。

まず当時のオーナーと僕とでライブハウスの機材についての知識にギャップがありました。オーナーはクラブの機材でどうにかなるだろうと考えていたようですがライブハウスの運営には全然足りません。バンドセット(ドラム・アンプ・楽器など)が必要なのは当然ですが、PAにしても全然違いますからね。当時なんて8チャンネルのPAミキサーしかなかったという。

クラブ用の機材しかなかったと。

最低でも32チャンネルのPAミキサーが必要で、それをオーナーに説得するだけでも時間かかりました。「それいくらかかるの?」と聞かれたので「250万くらい」と答えると、もうびっくりされちゃって「お前を入れたのは間違いだった!」なんて言われて(笑)

スタートの時点で修羅場ですね(笑)

そんなやりとりもありつつ、まずは週末限定でライブハウス運営をスタートしました。一年程でようやくライブハウスとしても知られてきた、そのタイミングで警察から摘発を受けてしまって…。

オーナーがスタッフを集めて『THE GAMEは解散、ここは売ります』

えっ、風営法関連ですか?

そうです。ライブハウスとしても軌道に乗り出した矢先にまさかの営業停止…。オーナーも店長も手錠されて連れてかれちゃったし、翌日には事務所にまで乗り込まれて、結局事務所も空っぽになってしまいました。

それは厳しい。警察もほかにもっと取り締まることあるだろうに…。

決まっていたブッキングも当然キャンセル。そうこうしている間にオーナーが戻ってきてスタッフを集めて放った言葉が『THE GAMEは解散、ここは売ります』。これにはもう「ちょっと待ってよ。俺一年でコレなの?」ってなっちゃって。生半可な気持ちでTHE GAMEに入ったわけではなかったので他の人の手に渡るなんて信じられなかった。

波乱の幕開けの予感がします。

売りにだすとすぐに購入希望の打診があったり、オーナーから『売った金額の10%を報酬としてやる』というお達しが出て血眼になって売却先を探すスタッフもいましたが、僕はできることなら「THE GAME」を他人に売って欲しくなかった。でも、事実上無職になっているので土木作業員のバイトをしている状況でした。

気が気でない状況だ。

土工バイトをしながらTHE GAMEのことを考える日々を送っている時に、ふとしたきっかけで「自分でTHE GAMEを買うってのはどうなの?」という考えが浮上したんです。

齋藤さんがTHE GAMEを買うっていうこと?

でも、当時の給料は月12万ですからね。12万の人間がライブハウスを買うってどういう事なの?(笑)それでもオーナーに話してみたら「資金の用意ができるなら買い手のリストに入れとく」とは言ってくれたので、思い切って土工のバイト先の社長に相談しました。

まさかホントに買う気では…?

実は、その土工の社長さん、僕の中でルーツとなった某アーティストのお兄さんでもあってすごく懇意にしてもらっていて、その社長さんと新会社を立ち上げてTHE GAMEを買うことにしたんです。

『THE GAMEをやるのは自分しかいない』という情熱で口説き落とした。

まさかの(笑)

そしてTHE GAME購入作戦を立てるわけですが、別の購入希望者には一括で買える資金力があったのに僕らにはなかった。だから自分には、THE GAMEにかける思いや関わってきた人の歴史を消してしまいたくない、という想いを伝えるしかありませんでした。

「お金 vs 情熱」。映画ならいけそうですが現実は勝率低そうだなあ…。

最終的には『THE GAMEをやるのは自分しかいない』という情熱で口説き落としました。でも、最後はお金の話になるので緩い話は一つもなかったですよ。

…と、ここまでが営業停止くらってから一ヶ月間の出来事です。

濃すぎです! 土工の社長さん、よく会社設立まで協力してくれましたね?

10代の頃から追っかけていた、自分に最も影響与えたアーティストのお兄さんと会社を作れるなんて思ってもみませんでした。僕を信用してくれて一ヶ月で会社まで作ってくれて、人生の中でも一番の宝モノみたいな時期です。

乗り越えたからこそですよね。ダメだったら完全にトラウマレベルのことだもの。

トラウマになってたでしょうね(笑)まあおかげで営業停止から二ヶ月後には新生THE GAMEとして復活することが出来ました。それでも僕は社長としては未熟ですから、当然いきあたりばったり、その最もたるのが不動産契約。

あぁ、未知の領域だ。

資金力のある相手に負けないために物件の契約も急いでいたので詳しい契約内容を確認していなくて。あとになって契約更新や諸々の条件に気付いたんです。

契約の更新が出来ないとか?

更新なんてすぐ出来るだろうと思っていましたが、そんな時、リーマンショックが起きたんです。その影響でTHE GAMEの入っていたビルの会社が倒産しかかって、その会社が経費節減のため全店をここのビルに集約させるということらしく『今入っている店舗には退去してもらいたい』と言われてしまい…。

立ち退きってことですね。

すぐには出れませんので粘ったんですが、結果的に閉店せざるをえない状況になって、最後は「GAMEOVER」というイベントで締め括りました。でもまだ当時の僕の考えは安易なところがあって「二ヶ月くらいで移転できるだろうな」と考えていました。でも実際には今の場所(宇田川町)に移るまで一年もかかってしまって、結局その一年間は無職でした。

メンタルを病んでしまいそうな展開です。

そもそもTHE GAMEを復活させる際の借金があって、たかだか二年で返せるような額ではなく、結果、大借金を背負ったままビルを退去、一旦THE GAMEを閉めることになったんです。

ちなみに、おいくらほど金額で?

載せていいのかわかりませんが、その時点で◯千万円ほどありました。銀行からもこのままじゃやばいと言われちゃって…。

THE GAME移転の前に僕らの火が消えないよう行動を起こさなければならなかった。

それは凄まじい金額! このあとの展開にドキドキします。

「THE GAMEは移転します!」ってうたっているので何が何でも移転先を見つけてTHE GAMEを再開せねばならなかった。一応銀行からは「移転先が見つかったら追加融資を検討する」という話にはなりました。でも、とにかく移転先の物件が見つからなかった。渋谷にこだわらず原宿も西麻布も恵比寿も代官山も60件以上は見ました。

世間は厳しいですね…。

それから銀行からは「最低限の経営が回っている状態でないと融資はできない」という話になってしまって、THE GAMEの前になんらかの別の店を作って営業を開始する必要が出てきました。THE GAME再開の前に、僕らの火が消えないよう行動を起こさなければならなかったんです。

経営能力があることを証明しないといけないってことですか?

それもあるのでしょう。それでTHE GAMEの営業停止から二ヶ月後に神奈川県の平塚で「clutchcafe(クラッチカフェ)」という店をオープンしました。ところが銀行からは「クラッチカフェだけではまだ融資できない」と言われてしまい、さらにもう一店舗作らなければならなくなりました。それが今のTHE GAMEのビルの坂下にある「JUMP」というライブバーです。その二店舗がオープンしてようやくスタートラインに立てたと感じました。

銀行渋すぎ! それでやっとこのライブハウスビルへの参入につながるんですね。

ようやくこの物件(トウセン宇田川町ビル)に出会うことになるんですが、実は僕らがこのビルで最初におさえた物件は、この上の3階にあるShibuya Milkywayさんが入ってるフロアだったんですよ。(※THE GAMEは2階にある)

え? どういうことですか?

現在Shibuya Milkywayさんが入っている3階も、その前はTAKE OFF 7さんが入っていて、そのTAKE OFF 7さんが移転した後だったのでライブハウス居ぬき状態だったんです。同時に、当時このビルの1〜2階にあったハーレーダビッドソン・ショップも退去したばかりで居ぬき状態でした。当然その時は3階のライブハウス跡地に目が行きました。

TAKE OFF 7はイシバシ楽器SHIBUYA-WESTのビルに移転しましたね。

そうそう。ちなみに、そのTAKE OFF 7さんが移ったイシバシ楽器WESTの物件は60件見回った中に入っていました。いい物件でここに決めようと間取りの模型まで見ていていたんですよ。それでも結局は僕らより資金力のあるTAKE OFF 7さんが入ってしまった。

やるせない…。

正直とられてしまったので、「悪あがき」じゃないですけど、だったら「TAKE OFF 7さんの跡地に入ってやろうぜっ」てことでこのビルの3階を候補にしました。

しかし次はShibuya Milkywayが待ち受けていたと。

今度はShibuya Milkywayさんとの勝負になってしまった。まあ勝負というのは言い過ぎかもしれませんが、僕たちの想いが届かなかったというか、結局TAKE OFF 7さんの跡地もとられてしまい、また物件を探さなければならなくなりました。

もうここまでくると「仕打ち」ですね。

最終的にはTHE GAMEはその下の2階に入るのですが、その時はハーレーショップが1〜2階で営業していた跡地の居抜きだったのでセットで○百万という高額な家賃設定でした。なので、当時は全く候補に入ってなかったんです。

◯百万! どうやって二階だけに入ることが出来たんですか?

僕の右腕のようなスタッフが「1階と2階を割ってもらえばいいじゃないんですか?」と、今になって思えばすごく単純なことを言ってくれて、不動産屋も「それいいかも」って反応でした。さすがにこの家賃では全く借り手がいなかったらしくて(笑)

ある意味世間に安心(笑)

そうしたら、地下1階のCHELSEA HOTELさんが1階に「STAR LOUNGE」を作るということになったので2階だけが開くことになり、ようやく僕らの順番が来ました。

本当によかった。このビルって同系列のライブハウスが集まっているのかと思っていました。

違うんですね。いつの間にかライブハウスのビルに生まれ変わったんです。ある意味バンド業界で一番有名なライブハウスビルになりましたが、僕らもこんなことになるとは思っていませんでした。

THE GAMEに入ってからの齋藤さんはカイジ(※賭博黙示録カイジの主人公)みたいな生き方ですね(笑)

その三年間で、会社を起こすこと、店を閉店させること、移転させることを経験してますから。ぶっちゃけ「あ、やばいかも…」とは考えましたけどね(笑)

スタートラインから何度も生死のラインで踏ん張ってきたせいもあってか、私にとってのTHE GAMEの印象はバンドもイベントも、そしてお店自体にも一貫したカルチャーを持ってるってとこです。

メチャクチャ嬉しいです。僕が10代の頃のライブハウスのイメージって、古い、臭い、ボロい、怖い、という印象だったですけど、僕は200〜300人のキャパで、ちょっとお洒落なライブハウスを作ってみたかったんです。

渋谷のダンスやファッション、ストリートカルチャーが詰まったライブハウスでありたい。

Low-Cal-BallというイベントをTHE GAMEで何度か観ています。まさにこの店の雰囲気を具現化しているようでした。

THE GAMEに入る前、渋谷エッグマンの店長をしていて、当時その頃スタートしたばかりの「Low-Cal-Ball」に出会いました。彼らはカルフォリニアなどのカルチャーにとてつもない愛をもっていて、それは僕がライブハウスに対して持っている愛と同じくらいの熱さで今もTHE GAMEでLow-Cal-Ballをやってくれている…。この繋がりって相当な運命じゃないかなって感じます。

戦友であり盟友のような存在。

Low-Cal-Ballを育てたし、僕もLow-Cal-Ballに育てられた。お互いに成長し影響を与え合うようなものがTHE GAMEにちゃんと反映されているから、バンドのクオリティーやパフォーマンスも一線を画していると思っています。

ロックな面も強いのに女の子も来やすいと思います。

ヒップホップやレゲエアーティストの担当のスタッフがいて、彼の中にも僕で言うLow-Cal-Ball的なものがあるんです。僕ら二人が生み出すものって、Samurai magazine(サムライマガジン)みたいなイメージで、渋谷にはダンスであったりファッションであったり様々な表現方法がって、それらストリートカルチャーが詰まったライブハウスを目指しています。サムライマガジンのライブハウス版ですね。

ストリートカルチャーという共通したビジョンのおかげで様々なジャンルが融合出来るのですね。

ジャンル分けに意味はないけれど、それでもジャンルによって生き方は違うと思う。それぞれの生き方が影響を与え合って吸収されて今のTHE GAMEがある。そういう意味で僕はこのビルのどの階よりもTHE GAMEがかっこいいと思っています。

その想い、THE GAMEに表れていると思います。

海外のアーティストを呼んで、彼らが「日本のTHE GAMEでライブした」って話題にしてくれれば嬉しいですよね。海外アーティストがこっちに来て、こっちのアーティストが海外に行って…、そういう繋がりもしっかり作りたい。

バンドカルチャーの架け橋であり原動力にもなる一番大切な部分だと思います。それでは最後になりますが、齋藤さんの音楽ならびにライブイベントにかける思いを聞かせてください。

僕らが言う「LIFE IS GAME」という言葉があっていろいろな意味を込めています。音楽やってお酒飲んで騒いで…、だけではなくて、やっぱり感動するってことが必要。「感動」がないものは僕はスルーですよ。このステージにはそんな想いのアーティストに立ってもらいたいし、そんなライブハウスであり続けたい。そしてそれが僕らの「LIFE IS GAME」だと思っています。

本日はありがとうございました。これからもストリートカルチャーの核を担うTHE GAMEに期待しています。

ありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2015年2月)

インタビュー特集一覧(バックナンバー)

バンドメンバー募集のメンボネット ミュージックジョブネット
サウンドペディア
JUMP
渋谷JUMP
2009年12月オープンしたTHE GAMEがプロデュースするDJクラブ・バー。DJ・ダンスパーティーやアコースティックライブやギャラリー展示会やトークライブなど小箱ならではのイベントが楽しめる。渋谷センター街を抜け東急ハンズを通り過ぎると見えてくる巨大なストリートグラフィックが描かれたビルのB1にある。
Low-Cal-Ball
ロック・パンク・オルタナティブミュージックとストリートカルチャー&ファッションの融合を目指して東京を中心に活動するパーティー集団。DJとライブを中心に構成されるステージ、ハードで尖っていていながらポップ、とにかくお客さんが最高にハッピーなれるパーティー。その歴史は長く2015年で11年を迎える。THE GAMEはLow-Cal-Ballの重要な活動拠点の一つだ。
Low-Cal-Ball公式サイト
トウセン宇田川町ビル
音楽、ダンス、ファッション、X-sportsなどストリートカルチャーの発信地であり、日本を代表する繁華街で一際異彩を放つビルが存在する。東急ハンズのすぐ向かい、ほんとどのフロアがライブハウスという少年漫画のようなビル、それが「トウセン宇田川町ビル」である。
トウセン宇田川町ビル
サムライマガジン
インフォレスト社が発売していたストリートカルチャー系ファッション雑誌。渋谷を中心とするストリート系のアイテムを紹介するオピニオンリーダー的雑誌でストリート系メンズファッションに与えた影響は大きい。同誌ではファッションとともに音楽、とくにクラブミュージック、DJ・ヒップホップの情報も常に発信しておりアーティストインタビューや、またウェアやグッズのモデルとしても度々登場した。2014年休刊。
clutchcafe
平塚にあったミュージック・カフェ。THE GAMEが当時入居していたビル移転問題から運営休止を余儀なくされていた(本文参照)THE GAMEを復活させるため、「PLAN IS COMPLETE」と名付けられたTHE GAME再スタート計画により2009年の10月に開店。2014年6月に閉店。
TAKE OFF 7
渋谷TAKE OFF 7
1980年10月、渋谷にライブハウスが密集する前の時代からアマチュアミュージシャン、バンドから愛用されてきたライブハウス。2009年までトウセン宇田川町ビルの2階で営業、その後クラブクアトロの隣アソルティ渋谷ビルのB1(写真)に移転した。