ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.108
立川 A.A.COMPANY
- 立川A.A COMPANYについて
- 立川駅南口すぐ。鮮やかな空色のエントランスをくぐり、地下へ続く階段を降りれば赤いベルベットに包まれた扇形ステージが現れる。バンドマンオーナーにプロデュースされた、ちょっとあやしげな大人の空間。「ジャンルの壁をぶち壊す」をモットーにあらゆる世代の感性が炸裂。ロック、ジャズ、ブルース、オールディーズ、弾き語り、ダンス、演劇から、初見でも楽しめるオープンマイク、あの有名アーティストの演奏まで連日連夜イベントが盛りだくさん。略称「立川AAC」。
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立川市柴崎町3-10-4 コーラル立川ビル B1F
TEL:042-540-8039(18:00〜24:00)
出演バンド・イベント・ホールレンタル受付中
ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 立川A.A COMPANY編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
ジャンルの壁をぶち壊すイメージで、なんでもOK!
本日は立川のライブハウス「立川A.A.COMPANY」店長の椎野有明さんにお話をお伺いします。まずはオープン年からおしえていただけますか?
僕は店長になってから一年半と日が浅くて、オープン当時のことはわからないのですが、オーナーによれば20年くらいと言っていたので、おそらく1999年〜2000年頃だと思います。
立川エリアでも歴史ある箱のひとつですね。独特な半円形のステージが特徴的です。
もともとショーパブ(キャバレー)だった物件で、その扇形舞台や内装の一部はその名残です。オーナーは「The USA」というオールディーズバンドのメンバー二人で、彼らのバンド活動のなかでご縁があり、ここでライブハウスをはじめるに至ったそうです。
バンドマンのオーナーさんが、元キャバレーの魅惑的な雰囲気を生かしたライブハウスにしたのですね。
はい、その「The USA」は現在も活動中で、オールディーズ中心のイベント「Oldies Night」を毎月開催しています。ぜひチェックしていただきたいイベントのひとつです。
スケジュールを見たところ、じつに彩り豊かなイベントが並んでいます。
オーナーはオールディーズバンドですが、箱としてはまさしくオールジャンル。二代前の店長がラッパーだったこともあって、当時は、週末にラッパーたちのオールナイトイベントが目白押しでした。
オールディーズとラップ、ジャンル年齢帯はかなり離れていますよね?
イベントによってはお客さまの年齢層が30代以上離れていることもあります。毎月やっている「DISCO NIGHT FEVER」というイベントでは、発足時から常連の70代のお客さまがノリノリで踊っています。
その一方で、ハードロックやヘヴィメタルの日もありますね。
もちろん、ロックもやっています!僕自身がロック系出身ですし、若い人たちの音楽も好きですからね。最近では「UNARIDM」という、ジャズとヒップホップの融合イベントもはじまりました。「ジャンルの壁をぶち壊す」そんなイメージで、どんどん受け入れているので多種多様な音楽が集まっています。
ジャンルや年齢をこえて幅広く楽しめる文化が根付いている、立川の底力を感じます。
これまで、いろいろなエリアの現場をみてきましたが、あの年齢の人たちが陽気に踊る光景にお目にかかったのは初めてでした。やはり、ここ(立川)が基地の街だった影響はあるのかもしれません。(※編:立川飛行場は1977年に返還されるまで米空軍立川基地だった)
サウンド面の特徴についてお伺いします。いま(取材中に)鳴っている反射音からも期待できそうですね。
箱の鳴りはとてもナチュラルで、立川エリアで、この規模のライブハウスとしては良い音が鳴っていると思います。もちろん大手のような高額の大きなシステムではありませんが、クラブミュージックのローサウンドにも対応できるスーパーウーファーも設置しています。
高校時代にFENで聴いたのが、僕の中の「ロックのビッグバーン」
つづいて、椎野さんと音楽の出会いについておしえてください。
世代的には中学時代にビートルズやベンチャーズが大流行していたのですが、少し出遅れちゃったのかな(苦笑)。高校時代にFENで聴いた、ジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンには衝撃を受けました。
FENでハードロックが流れてくる、いいですね!(FEN:現在のAFN、在日米軍向けのラジオ放送)
いまのオーディオ機器とは比べ物にならいくらいミニマムなAMラジオでしたけど。でも、その小さなスピーカーから聴こえてきた音楽が僕の中の「ロックのビッグバーン」で、自分でもバンドをはじめるきっかけになりました。
その名のとおり、のちのロック史にとって重要な時代でした。どのようなバンド活動をされていましたか?
ギターからはじめて、ボーカルもやりました。ライブはオープン当時の渋谷「屋根裏」というライブハウスで好き放題やっていましたね(笑)。当時の屋根裏はもう…、ひどかったです、良い意味でよ(笑)。 PAやアンプなどの機材はバンドの持ち込みだったので、ビールをぶちまけても怒られなかった。
気軽に立ち寄れる、地元に根付いたライブハウスでいたい
となりますと、70年代中盤から後半といった頃ですね。ちょっとうらやましい時代です(笑)。
そんな感じで、20代半ばまで好き勝手にバンドをやっていました。が、やはり予想通りというか、いろんな壁にぶつかりました(苦笑)。結局、アルバイト時代が10年、20年と続いて、音楽もやらず肉体労働だけやっている…なんて時期もありました。
それでも、いまこうして音楽の現場で仕事をされています。
アルバイトで音響の仕事をしたのがきっかけで、もういちど音楽の世界に戻れました。同じ音楽の仕事といっても、プレイヤーとはだいぶ性質がちがうので最初は戸惑いましたけど、少しずつ慣れてきて、自分の音楽活動も再開することができました。じつは明日も、国立地球屋でライブが入っています。
国立地球屋(2018年取材)も多くのミュージシャンに愛されている箱ですね。
地球屋さんとは姉妹店のような関係で、共通の出演バンドやミュージシャンがたくさんいたり、地球屋さんのPAさんたちにも手伝ってもらったりしています。
多摩エリアに息づく地域と人のつながり、すてきだなと思います。
そうですね。うちも、アフターライブの22時以降でも気軽に立ち寄ってもらえるお店を目指していて、その時間帯となるとお客さまの多くは地元の方です。いつまでも、地元に根付いたライブハウスでいたいですね。
それでは最後にA.A.COMPANYから読者のみなさまへメッセージをおねがいします。
ぜひ一度お気軽に足を運んでみてください。吉澤はじめさん(元MONDO GROSSO)による「MANTASA」「西東京社交場」という定期イベントなど、多種多彩な魅力あるライブ、イベントを用意しています。まずはWebサイトのライブスケジュールだけでもチェックしてもらいたいです。
音楽好きが唸ってしまうような、すごいイベントもありますからね。これからも立川のライブシーンに注目していきます。本日はありがとうございました。
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