LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.30

新宿 WildSideTökyo

WildSideTokyo について
2009年4月にオープン。ロックテイスト溢れる重厚な外観とレンガ壁の内装からハードな音のライブハウスを想像させるが、そのイベント内容は多岐に渡る。ロック系のバンドはもちろん、アイドルや芸人まで、面白いと思う事はスタッフ総動員で取り組むといった、オーディエンス思いの良店。その中心には、PANTERAのダイムバック・ダレルを彷彿させる店長、高長氏の熱いライブハウス愛とサポート魂がある。系列店に新宿御苑MERRY-GO-ROUND
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TEL:03-5919-884
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新宿ワイルドサイドトーキョー

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 新宿WildSideTökyo編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

新宿WildSideTokyo 店長 高長 剛志 氏

本日は新宿WildSideTokyo店長の高長剛志さんにお話を伺います。WildSideTokyoのオープンはいつになりますか?

2009年の4月にオープンしましたので今年で7年になりますね。

「WildSideTokyo」というハードロックな響きがかっこいいです。名前は高長さんがつけたのですか?

はい。僕が付けました。Mötley Crüeが大好きで、その曲名からつけました。若い時からずっと、「何かをやる時はWildSideっていう名前を付けたい」と思っていました。それがライブハウスに付けられたのはベストな形でした。ライブハウスでなかったとしてもこの名前にしようと思っていましたので(笑)。

ライブハウスのジャンルも高長さんの好きなハードロック系が強いのですか?

いや、そんなことはないです。ライブハウスのスタートから、まわりにいる仲間達と始めたので僕個人の好みというよりも、みんなで作っている意識の方が強いので、いろんなジャンルの方が出演されています。

以前は、ここはHEADPOWER.というライブハウスでした。HEADPOWER.とは関係があるのですか?

いえ、基本的には旧HEADPOWER.さんの居抜きで始めましたが、経営もスタッフも違う別のライブハウスにです。

なるほど。ではここがHEADPOWER.からWildSideになる経緯を教えていただけますか?

WildSideを始める前はフリーのPAエンジニアをやっていて、PAエンジニアとしてHEADPOWER.に出入りしていました。ある時、当時の店長に「移転することになった」という話を聴いたんです。「良い所なのに残念だ…」という話をしていた時に、「もしかしてライブハウスやるんなら今なのかな!?」とピンと来たんですよ。

お金も、何もないので熱意だけで押し通した。

直感が働いた!

それで、ビルのオーナーに「この後またライブハウスが入るのはどう思いますか?」と、直接話をしに行きました。そしたら「別に構わないよ」とおっしゃってくれて。自分以外にも手を挙げていた人がいたらしくて、そんな中で、僕はお金もない、何もない状態だったんですけど、熱意だけで押し通しました。

ビルオーナーさんに高長の想いが伝わったのですね。

オーナーはやる気のある人を応援してくれる人なんです。よく気にかけてもくれます。こんな音出してたら迷惑なはずなんですけど、「いつも頑張ってるな」なんて言ってくれるんですよね。

とてもありがたいビルオーナーさんですね。

はい、ほんとにありがたいです。ライブハウスには「騒音問題」や「人が溜まる問題」がつきまといますが、オーナーは「昔ほど無茶苦茶する奴もいないだろうし、気になったら俺が注意してやっから」と、気に留めないでいてもらってます。ほんとに感謝しています。

ところで唐突ですが、鳥肌実氏が出演されていたという話を聞きました。今日は、その時のエピソードをお伺いしたいと思っていました。

ああ、たぶん載せられない内容だと思うなあ…(苦笑) 。鳥肌さんは以前、とある「ゴシック系のイベント」に呼ばれて出演していだきました。

そう言われると気になります!どのようなイベントだったのですか?

「アンチ○○○○」(※編集部規制)を掲げるイベントです。これはほんとに大変でしたね。前日の夜に、何者かにライブハウスの壁にスプレーで落書きされたり。

イベントもヤバそうですが、反対活動もコワイですね…。

壁のいたるところに落書きをされてしまったので、ビル管理の方にペンキを塗って直してもらいました。まあ、でも妨害行為はこの時だけで、ライブ妨害にまでは来なかったですけどね。後日、防犯カメラの映像で有名な活動家による仕業だと判明しました。

妨害工作、というよりは軽犯罪の域に達しているような…。

そのイベントを主宰したバンドは何度もWildSideでイベントをやっているんですけど、毎回、何かしら「事」が起きるんですよ。「反○○○○」を掲げて、パフォーマンスとかではなく、ほんとに心からそう思っている連中が集まったバンドです。

かなり過激なステージが想像されます。

彼らは政治的なステージングをやっているけど、話せば悪い奴らではないので、笑いながら「気を付けろよ!?こっちが危ないわ!」っと伝えたりはしています(笑)。

怖いもの見たさで覗いてみたいような。

盛り上がりはするんですけど、こっちはハラハラしますよね。でも、こういうバンドの出演はごく稀なケースですからね(笑)! 決してWildSideTokyoにそういう思想があるわけではありません。

アニキがMötley CrüeなどのCDをおもむろに渡してきた。

では次に、高長さんの音楽との出会いについて教えてください。

出会いは小学校の時のBOØWYですね。楽器のことはわかりませんでしたが、氷室京介さんの歌声がかっこいいなと思って。それでなぜか中学校入った頃にギターを買ったんです。

そこは布袋さんじゃないんですか(笑)?

ですよね。氷室京介がかっこいいと思ってたのに(笑)。それで、家でギターを練習してたんですけど、兄貴が「ギターをやるんだったらこういうのを聴いた方がいい」と言って、Mötley Crüe、SKID ROW、Guns N' Roses、HelloweenのCD4枚をおもむろに渡してきたんです。

メタルの門戸が開かれましたね(笑)

そこで初めて歪んだギターを聴いて、その時は何もわからずに、海外のバンドって全部こうなんだって勘違いしながらも、そういうハードな音楽を聴くようになりました。ここがHR/HMとの出会いですね。

高長さんの見た目にはPANTERAも感じられます。

そうですね、もちろん聴いてましたよ(笑)。

となると、高校生のあたりに本格的なメタル活動でしょうか?

そうですね。若いので、よりハードな物を求めるようになって、ハードロックからどんどんヘビーメタルなものを好むようになりました。学校では、Green DayやHi-STANDARDなどのメロコアが流行り出したんですけどね。

そうなるとバンドメンバーを集めるのも難しそうです。

田舎なのでやってくれる人がいなくて、1人で黙々とやってました(苦笑)。

高長さんのご出身はどちらですか?

岡山です。岡山市じゃなくて外れの方で何もない所です。備前市という所で、焼き物が盛んでした。焼き物の作家さんには窯が必要でして、結構な敷地も必要なので、多くの人が山の方に住んでいるんです。街にもスタジオがなかったので、そういう窯のある人の家に集まって遊んでました。お客さんが来る時だけ演奏をやめるんです(笑)。

備前焼の窯でメタルはサイコーです(笑)。その後上京するのですか?

その後は、大阪の専門学校に通い、卒業後は音響の堅い職業に就いたんですけど、楽しくなかったので半年で辞めて、東京に出てきました。

東京に出てきてからはライブハウス一本でしょうか?

そうですね。新宿ANTIKNOCKに入って当時系列店だった渋谷CYCLONEに移動し、その後はフリーのPAエンジニアとして下北沢MOSAiCの立上げに携わったり、渋谷チェルシーホテルでPAをしたりしていました。バンドにPAとして色々行き始めたのもこの頃です。そして、回っているライブハウスの中にHEADPOWER.があったということです。

「ここに来れば絶対楽しい」という場所を目指す。

WildSideの運営で高長さんが心がけている事を聞かせてください。

みんなが心から楽しめる空間を作りたいですね。スタッフには「何があっても嫌な顔はしないでくれ」と言ってます。人それぞれ楽しみ方があるので、自分は楽しくないと思っても、その人が楽しいと思ってくれることだったら協力することがモットーです。ライブハウスというよりは、「ここに来れば絶対楽しい」っていうアミューズメントパークみたいな場所を目指しています。

出演者の方にも伝えたい裏方さんの心意気ですね。

それと、バンドが活動していく上で、うちに相談してもらえれば、ここですべてが完結できるような土台を作りたいです。ライブハウスはいっぱいありますが、うちでは音源製作に協力したり、流通会社を紹介したり、広告の手配をしたり、配信の準備をしたり…、ミュージシャンにとって『音楽活動の土台』となるライブハウスでありたいです

出演してくれるバンドの活動サポートをしてくれるわけですね。

そうです。でも、媒体や流通方法って、どうしても新しい物がどんどん出てくるので追い付いてないっていうのもあるんですけど、基本的な所は押さえてあります。

このあたりは新宿駅中心エリアからは若干距離があります。そういった立地的条件は影響しますか?

地下鉄だと新宿御苑前駅がすぐ近いんですけど、確かに、JR新宿駅からの距離は弱点だと思うので、そういうデメリットも、ドリンクも安めに設定したり、モットーの「絶対楽しいという空間作り」を徹底することで覆そうと心がけています。

以前、上の階にあるライブサロンのカールモールさんを取材したんですけど、「二丁目が近いので面白い人が集まる」と言っていました。。

それはあるかもしれない。濃い人は多いと思います。あとは、出演する人に聞いたんですけど、新宿駅前や歌舞伎町は機材搬入搬出で店の前に車を止められないことがあって、離れた所に車を停めて運ばなければならない場合もあるらしいんです。でも、ここは大通り沿いで、車を停めてエレベーターで降ろすだけなので利用しやすい立地だと思います。

なるほど、持ち込み機材の多いバンドは助かりますね。

JR新宿駅から歩けない距離ではありませんが、わざわざ歩いて来てもらうんだから楽しんで帰ってもらいたいですし、これだけは自信を持って言えるのが、ここはスタッフ、お客さん、演者の全員が盛り上がれる絶対の空間です。

ライブハウスは好きな気持ちがないと続かない。

PAエンジニアからライブハウスをはじめた高長さんから、ライブハウスをやってみたいと思っている人にアドバイスをお願いできますか。

好きこそものの上手なれじゃないですけど、好きな気持ちがないと続かないと思います。好きじゃないんだったら、お勧めできないし、やめたほうがいい。まず儲からないので、ハッキリ言ってツラいだけです(笑)。ビジネスだけを考えてやるんだったら、もっと他の道を選ぶことすすめます。

ライブ文化への愛情と覚悟があってこそということですね。

そうですね。繰り返しになりますが、そういう覚悟をわかってくれているスタッフが集まっていることが大切です。アイデアや意見というのは、僕ひとりが出すよりも10人で出しあった方が面白いことを思いつくはずです。最も面倒な部分に関しては僕がひとりでやるので、それ以外の部分をみんなで受け持ってもらうくらいの気持ちでやっています。

チームワークの良さがあってこそ活気の出る所ですからね。

そうですね。イベントが終わった後も、バンドやお客さんに終了を促したりはしません。せっかく来てもらっているので、心ゆくまで楽しんでもらいたい。こういうことも、バンドの意見を聞き、スタッフからの意見も聞き、そこから出てきたアイデアにみんなで取り組んでいます。集まっているスタッフの良さは、どこにも負けない自慢できるところです。本当にスタッフのみんなには感謝してもしきれません。

それでは最後になりますが、メッセージなどありましたらお願いします。

「こんなことライブハウスじゃ出来ないんじゃないか?」ってことでも、思いついたら何でも相談してください。そして、「絶対に満足ゆくまで楽しめる空間」ですので、まずは一度度遊びに来てください!

過激なイベントも出演者想いのスタッフによって支えられているすてきなハコだと想いました。本日はありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2016年1月)

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日本を代表するロックバンド。1982年の「MORAL」から、1987年の「PSYCHOPATH」まで、6枚のアルバムを発表。翌年東京ドームでのLAST GIGをもって解散した。今日まで日本のロックに影響を与え続ける伝説のバンド。
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1968年オープン。70年代から日本の音楽シーンの発信地として中心的存在の老舗ライブハウス。2009年に現在WildSideの場所から現在地(新宿区大久保)に移転した。