LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.92

国分寺042UNIONは、2021年4月をもって閉店しました

国分寺 042UNION

国分寺042UNION について
JR中央線で新宿から約25分、再開発の進む多摩地区「国分寺」で、アーティストが気楽に集える場所をめざして2015年にオープン。カナダ生まれのオーナー飯間 蓮氏は、20才で単身来日し、祖父の代からゆかりのある地で、自分自身の夢をカタチにした。DIY精神あふれる店内は、あらゆるジャンルの音楽ライブとセッション、ライブペインティングや個展、ワークショップなど多様なイベントに活用できるライブバー&アートスペース。042(コクブンジ)から音楽、アートの文化を盛り上げる。
国分寺042UNION へのお問い合わせ
国分寺042UNION
[閉店] 国分寺市本町2-9-3 1F
TEL:042-312-0877
営業時間:19:00〜(日曜定休)

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 国分寺042UNION 編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

042UNIONオーナー 飯間 蓮氏

本日は国分寺042UNIONオーナーの飯間蓮さんにお話をお伺いします。オープンはいつになりますか。

2015年5月29日のオープンです。

本企画はじめてとなる国分寺のお店です。僕も国分寺出身なのですが、この場所でオープンした理由をおしえていただけますか。

僕はカナダから日本にやって来て、長いこと国分寺に住んでいたのと、もっと以前の1950年頃に祖父が国分寺で電気屋を営んでいて、父も武蔵野市育ち、叔父も武蔵野市に住んでいたので、お店を開くなら西東京で、と考えていました。

正直なところ、東京西部においても国分寺は音楽メインエリアとはいえませんが、あえて、ということですか?

そうですね、当初は立川や吉祥寺でライブバーができそうな物件を探していました。なかなか、いい物件が見つからないでいたところ、友人がこの物件の空き情報を教えてくれて、内覧して決めました。国分寺で店をオープンしたのは縁によるところが大きいですね。

この物件はイメージにピッタリ合うものだった?

ピッタリ、というわけではありませんでしたが、まあここならイケるかな?と思いました。

物件は居抜きで使える部分はあったのですか?

前のテナントさんはダイニングバーで、雰囲気も自分のイメージと全然違ったし、キッチン面積は広い、天井も低かったので、かなりの改装工事が必要な状態でした。といっても予算がなかったので、作業は全部自分でやりました。

飯間さんご自身で改装されたのですか?業者に頼まずに?

はい、ほぼ自分でやりました。改装の監督は、おなじ国分寺でフォトスタジオをやっている先輩にお願いして、もうひとり、友人に手伝ってもらって、その3人でほとんどやりましたね。

そういった作業の経験をお持ちだったのですか?

ある程度のノウハウというか下地はありました。若いころ、解体作業のバイトやリフォームをやったことがありましたし、それにカナダではなんでもDIYでやる文化があるので。もちろん、ここまで本格的な改装工事ははじめてでしたが、おかげさまで、ここまでDIYで出来ました。

元ダイニングバーとなると防音工事も必要ですよね?

じつは、オープン当初は防音対策もせず、ステージもない状態でライブをやっていたので、かなり苦情が来てしまって(苦笑)。さすがに防音工事は自分では限界があるので、プロに頼みました。

本格的な防音工事となると施工費用もかさみますね。

最初は、ドアを壊してルーム・イン・ルームを作る完全な防音工事計画を立てていて、2つの業者に見積もりをお願いしたのですが、もうそこからしてムリな値段(笑)。現実的なところで、キッチンを半分にしてステージを作ってトリートメントしました。コンクリ打ちっぱなしの壁と、ステージ側の吸音板とのバランスが良いので、きれいな音が出ていると思います。それでも、相当な費用がかかってしまいましたけど(笑)。

国分寺のまちをもっと盛り上げたい、もっと知ってほしい

042UNIONの特徴について教えてください。

アーティストが気軽に集える空間を目指しています。ライブハウスの多くは、ロック系、ジャズ系、というような、こだわりや特定の方向性をもつお店が多いですが、僕はどのジャンルも好きなので、おもしろければ、なんでも受け入れていきたいですね。

主にどのようなイベントが行われていますか?

ロック、ジャズ、ヒップホップはもちろん、アニソンイベントもありますし、あらゆるジャンルのイベントをやっています。アニソンは最近いちばん盛り上がっているイベントかもしれない。コスプレイヤーも来て、お店もギュウギュウになっています。ありがたいです(笑)。

音楽以外のイベントやスペース利用も可能?

はい、ライブペインティング・イベントや展示会も開いています。音楽をメインにアートイベントを通じて多様な人に集まってもらいたい、というのも042UNIONをオープンした理由の一つです。

オープンから4年目に入りましたが、これからの展望をお聞かせください。

お店に関しては、さらに音を良くしたいですね。でも、それ以上に、国分寺のまちをもっと盛り上げたいという気持ちがあります。

駅前の再開発は進んでいますが、音楽やアートなど文化的な方面への進展がない?

駅ビルやタワーマンションで完結してしまって、人の流れというのは正直あまり変わっていない…。街のこちら側にはとくに変化なし、が現状ですね。

ぜひ、042UNIONから国分寺を盛り上げていってください。

そう思っています。僕も国分寺は長いですが、下北沢や吉祥寺などのメインエリアにくらべると、(国分寺には)ミュージシャンや、アーティストが足を運べる場所がまだまだ少ないですが、ライブハウスは老舗のMorganaさんがありますし、うちをはじめ、おもしろいことをやっているお店もあるので、国分寺をもっと知ってほしいですね。

父親が日本人で、そのルーツを知りたかった

つぎに、飯間さんと音楽の出会いについて教えてください。さきほど、カナダ生まれとのお話がありましたが?

はい。生まれ育ちはカナダです。小さいころからピアノをやっていましたが、ベビーシッターをしてくれていた方がギターの上手な人で、そのシッターさんの影響は大きかったです。若いころはプロを目指して熱心にやりました。ビートルズ、サブライム、ウータン・クラン、ジョニー・キャッシュ、RCサクセションなどが大好きでしたね。

何歳のときに日本に来られたのですか?

20歳になって、貯金をはたいて片道チケットで日本に来ました。10歳のころ日本に来たときに良い印象があったのと、さきほどもお話しましたが、父親が日本人で、そのルーツを知りたかったというのもあります。

ミュージシャン活動をするつもりで日本に?

いや、日本には、大学を卒業したらお坊さんになろうと思って来ました。ミュージシャンとして生きていきたかったけど、途中でそれは自分には無理だなと気づいたので。

お坊さん志望! そうなると修行のみちへ?

いいえ、来日してすぐ、先輩に紹介された英会話教室でインストラクターをやっていました(笑)。それから、その教室の生徒さんが紹介してくれた、音楽関連の会社に転職して、海外アーティストのインタビュー記事をデジタル配信する事業で、カタログを管理するような仕事に就きました。

それが、音楽業界に入るきっかけになったわけですね。

そうですね。でも、小さな会社だったので、アーティストマネージメントやA&Rも自分がやることになって、日本の会社というのは、それはもう、毎日仕事詰めで大変でした(苦笑)。

とくに音楽業界はハードと言われていますからね。

昼間の作業が終わると、夜はクラブへ行って、アーティストのインタビュー。それも、夜中の2時まで待っていないといけないし、それまで酒も飲めない。いっさい楽しめずに待っているだけ(笑)。イベント後で、DJもアーティストも疲れている時にインタビューするのが、ホントに申し訳なくて…、そんなことが延々と続く毎日で、さすがにこれでは身がもたない、ボスとも意見が合わなかったので辞めました。

自分も痛いほど経験あるので、大いに共感するところです(笑)。

ミュージシャンにはなれなかったけど、夢の延長といいますか、音楽が楽しめる自分の店を、祖父や父のルーツでもある日本で持つということで、夢を叶えたと思っています。

それでは最後になりますが、海外から単身来日され、音楽業界で戦ってきた飯間さんからミュージシャン、アーティストに向けたメッセージをお願いします。

自分の好きなことをあきらめないでください。日本人はシャイなのか、周りの目を気にしすぎてしまうと感じました。年齢、ジャンルに関係なく、自分の好きなことをやり通してほしいと思います。その表現の場は、ここ042UNIONはもちろん、すばらしい場所はたくさんありますので、めいっぱい楽しんでやってもらいたいです。

国分寺から音楽、アートの文化を盛り上げるという夢のつづきを楽しみにしています。本日はありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2018年7月)

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国分寺(国分寺市)
国分寺駅
JR中央線、西武国分寺線・多摩湖線が乗り入れる国分寺は、1955年に糸川英夫博士らによって、日本で初のペンシルロケット水平発射実験がおこなわれた「日本の宇宙開発発祥の地」。北口から顕彰碑までの歩道には歴代のロケット12種類が描かれたロケットマンホールが設置されている。国分寺市のイメージキャラクター「ぶんじほたるホッチ」。