LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.4

三軒茶屋 HEAVEN'S DOOR

HEAVEN'S DOOR について
ロックミュージックの代名詞のようなライブハウス。その歴史は20年以上前の三軒茶屋から始まる。『このクソみたいな街をかえてやる』と、その熱い志で数々のロックモンスターを輩出する。開店当時からノルマは一切取らず“表現の場”の姿勢を貫く。出演希望者は音源を持参かデータで送ってもらうのも可。出演条件ノルマ無し、機材費あり。自分でかっこいいと思っていることが絶対条件。
HEAVEN'S DOOR へのお問い合わせ
HEAVEN'S DOOR公式サイト
世田谷区三軒茶屋1-33-19 ケイオーハローB1F
TEL:03-3410-9581

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 三軒茶屋HEAVEN'S DOOR 編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

HEAVEN’S DOOR代表 Holly氏

HEAVEN’S DOORといえば、第一線を駆け巡る猛者たちが通ってきたライブハウスだと思いますが、Hollyさんがライブハウスをやることになったきっかけは?

単純に音楽が好きだから。10代のころから音楽が好きで、将来は音楽の仕事に携わろうと思ってた。本当は下北でやりたかったんだけどさ。でも下北沢でやるには資金が足りなかったから、しょうがなくここで始めたんだけど、その頃の三軒茶屋は、ボロボロの街だったよ。俺も当時は三軒茶屋なんて知らなかったし、街自体が生活に密着した普通の商店街だったしね。飲み屋も全部ゴチャゴチャと鬱蒼としたとこしかなかったんだよ。ここも元々はビリヤードの店で、一日中いても客が一人も来ないようなところだったし最悪だった(笑)。もう発想を転換して『このクソみたいな街を変えてやろう』って思ってさ。

実際、今は若者が住みたい街にトップランキングされるようになりましたね。

みんな騙されてるよ(笑)。

ちなみにHollyは、どんな音楽に影響されましたか?

元々はグループサウンズ。そっから洋楽聴くようになったかな。ローリングストーンズ、アニマルズ、ビートルズとか。中学生になってバンドやろうとしたんだけど、『こりゃ才能ねえな』ってのがわかった。

でも音楽は続けたんですね?

その頃から音楽で生きようとは決めてたから、高校は行っても意味がないと思ってた。でも、ある日校長先生に相談しにいって『俺は音楽やりたいから高校行っても意味がないと思う』って話してみたんだ。そしたら校長先生に『君は正しい』って言われちゃってさ。『ああ、こういう大人もいるんだなあ』って思って、なんかスッキリしちゃったんだよね。そこに親の熱意とかも感じちゃって、受験勉強しなかったけど高校に進学したんだよ。でも、高校行っても、悪い仲間とつるんで他校の生徒と喧嘩とかばっかしてたりでさ。で、あるとき相手校からの報復みたいのがあって、木刀持った学生が駅の改札で何十人も待ってるんだよ(笑)。もう必死で逃げるんだけど、その時に『俺なにやってんだろう?』って妙に冷静になってそのまま高校やめたんだ。

一文無しなのに100%借金してライブハウスを始めた。

それをきっかけに音楽の道へ?

その後に自分で色々考えて家出したんだ。音楽に拘る仕事をしたくてね。だけど、当時は、情報なんてどうやって得るのかすら分からない。ネットなんてもの自体が存在していなかったし今の様な情報社会とは全くの別世界だからね。それ以前に『食うために稼がないと』ってとこから始まった。それで賄い付きの小さな飲食店で働きだしたのね。そこで仕事ってものを学んだのかな。それこそ殴られながら仕事覚えるようなとこだった。でも頑張って仕事覚えて、そこでは家族みたいに良い関係が築ける所までいけたんだ。だけど自分のミスでクビになっちゃった。自分自身の駄目さ加減に情けなくなったけど、食わなきゃ死んじゃうんで近所のお店で雇ってもらう事に。で、そこのママさんが大胆というか変わってる人で、全部スタッフのやりたいように任せてたのよ。ようするにヌルくて、売り上げは悪い。『しょうがないから俺に全部まかせてくれ』ってことで全部請け負ったんだけど、そうしたらめちゃめちゃ大繁盛。それで、次のステップに行けることになった。

次は川崎の飲食店を任せるってなったんだけど、そこが超やばい。繁華街とは逆側の地域。経営者は結構な年輩の方で、他にいるのは娘さんだけ。お客さんは、暴走族とヤクザしかいない。その娘さんも暴走族だし(笑)。ここも何とか繁盛させる事が出来たけど、まだ大きい街で結果出してなかったから、六本木で働いてみることにしたのね。ただそこのオーナーと気が合わなくて『もうノウハウはわかってるし、自分でやろう』って思って辞めちゃった。

で、本当はライブハウスを下北でやりたかったんだけど資金が足りなかったんで元手を増やす為に小さい飲食店を経営する事にしたわけ。結婚もして、マンションも買って、店も増やした。けど、休み無しで働いてるもんだから、奥さんが『あたしは仕事と結婚したんじゃない』ってなって、離婚することになっちゃった。奥さんに任せてた店は閉めなきゃいけないし、そこで借金がまたドドドっと増えちゃって(笑)。結局、店もマンションも売り払う羽目になっちゃった。だけど、丁度バブルの時代だったのがラッキーだったんだね。一文無しなのに100%借金してライブハウスを始められたんだよ。

ベンジー(浅井健一)とかタツヤ(中村達也)もいたり、そんな連中が毎回200人くらい来てた

HEVEN’S DOORは昔からジャンルを問わず濃いバンドを輩出していると思うのですが、何かこだわりはあるのですか?

そりゃ、かっこいいことに越したことはないよ。あえて言うなら『恥ずかしいのは出したくない』。

ハードコアなライブハウスというイメージもあるのですが。

それはそういう時期があったんだよ。時代ごとの主流みたいのがあった。開店当初はブルージーなのが主流で、エース格はPANIC IN THE ZUってバンド。キャリアのあるギャルバンで、大人のロックバンドっていうのかな。イカ天のグランプリにもなったよ。他にもAC/DCみたいなハードロックンロールの一派もあって、それはまた超ガラ悪かったなあ(笑)。GROOVY HEELSってバンドのボンバっていう、みんなから慕われてるボスがいて、そいつと組んで毎月イベントやっててさ。そこにベンジー(浅井健一)とか達也(中村達也)もいたりしてね。そんな連中が毎回200人くらい来るから、店前にはハーレーが数十台も溜まるし、警察もしょっちゅう来て凄かったね(笑)。

え!? BLANKEY JET CITYが来てたんですか?

BLANKEY JET CITYを始めたての頃だね。そういや彼らが当時のうちのドリンクシステムを変えてさ。その頃、出演者はドリンクいくら飲んでも無料にしてたんだけど、そうしたら達也がいくらでも飲むんだよ!底無しなんだよアイツは(笑)。それで出演者は、1杯だけただにする事に変えたんだ。そういう猛者みたいのがいっぱい居たわけ。

で、同じ頃に『Neo Hardcore Tale』っていうイベントも始まったんだ。NUKEY PIKESってバンドを中心に、BEYONDS、サーファーズ・オブ・ロマンチカとか、そういう精神的にハードコアな連中が出てたイベント。その頃はメロコアって言葉はなくて、アメリカンハードコア=アメコアって名前だったのね。で、そのアメコアってシーンが出来ちゃった。毎回イベントはパンパンの超満員。みんな洗濯機みたいな渦の中でダイブしまくってスゲー状況だったよ(笑)。タイトルにハードコアって言葉が入っている事がジャパコアの重鎮的存在の逆鱗に触れて大もめになった時もあったけど和解して握手出来た時は嬉しかったな。

それは怖い(笑)。

そのうちに下北沢シェルターとか、渋谷サイクロンとか出来て、そこら辺にもシーンが広がっていった。広がると同時くらいに、今度はミクスチャーロックのシーンが来て、SUPER JUNKY MONKEYWrenchらが出てくる。で、そういった中でもクール・アシッド・サッカーズってのが中心になって、ミクスチャーのバンドが増えていったんだ。で、そっから混沌とした時代が始まる。

その後は、ニューヨークハードコアのシーンが来て、一か月の八割くらいがニューヨークハードコアのイベントになってて、その頃の印象でハードコア箱のイメージが強いのかもしれない。ただ“流行ってるからやってる”みたいのが横行すると衰退していくもので、聴く側も耳が肥えて他の音楽を聴きたくなってくるんだよね。体で聴く音楽から、頭で聴く音楽を欲するようになってくる。それが音響系ポストロックだったりして54-71がブレイクしたのもそのあたり。

となると、今はこれといった大きなムーブメントは無いのでしょうか?

『飛びぬけて』ってのは無いね。いいバンドはすっごい増えたけど、完璧なエースみたいなバンドはいなくなった。聴く側が、もうそういうバンドを求めてないっていうのかな。みんな詳しくなって多様化してきたからだと思う。

ずっとお客さん0人だった。でも彼らの音楽はすごく良いから、俺も意地でも出してやろうと思ってた。

そうなるとバンドが大きくなるのもなかなか難しいですよね。でもHollyは、お客さん0人から始まってビッグになっていくバンドもいっぱい見てきたわけじゃないですか? そういったバンドにみられる傾向は?

“センスがあって意識が高い”って所かな。音楽のために、いろんなもの犠牲にできる精神。SUPER JUNKY MONKEY なんて週六日バンド練習入ってたし、残り一日は個人練習とかで、才能があって人の何倍も努力してる。時代の流れで脚光を浴びないことも多々あったりするけれど、信じてやっていれば必ず流れはやって来ると思う。髭(HiGE)もそうだよ。ずっとお客さん0人だったもの。でも彼らの音楽はすごく良いから、俺も意地でも出してやろうと思ってた。

逆に、多様化した今のバンドシーンの特徴は?

ぶっちゃけロックじゃなくなってきてるかも。ロックってものが必要とされてなくなってるのかもね。

それはジャンルでいうロックではなく、精神性としてのロック?

そうだね。ただ、この時代特有の『コミュニケーション能力が中学生レベルなのに、センスだけ飛びぬけちゃってるようなバンド』が出てきたのも事実。人としてすごく幼いってのかな?それで世の中渡っていけるの?って思っちゃう連中の音楽が、すごく面白くてリアルだったりするし。

例えば神聖かまってちゃんのような?

彼等は、うちに出演した事が無いし話した事も無いから俺にどうこう言う資格は無いけど、正直、彼らが出てきたときはビックリした。即CD買ったもん。個人の殻の中でやってる音楽なのかもしれないけど俺には残酷な程しっかり届いたよ。

ライブハウスと言いつつ、中身より金が先に来てるところは全部潰れてほしい!

最後に“声を大にして言いたいこと”をお聞きしたいです。

『ライブハウスと言いつつ、中身より金が先に来てるところは全部潰れてほしい!』もしくはライブハウスと言う括りから外れてほしい! レンタルスペースと名乗ってもらいたい。

そういったライブハウスは増えてきてますか?

いや、そういうライブハウスしか無いじゃん!? だいたいノルマなんていうのは文化を駄目にしてるだけだよ。だってライブハウスって、バンドがいてお客さんがいて成り立つものじゃない!? お客さんが来なかったからってバンドの子にケツ拭かせるってのは、それは違うよ。それはライブハウスのふりしてるだけ。逆にそんなシステムに反発しないで言うこと聞いてるバンドの子たちもどうなの?『おまえらそれでロックなのか?』と。

昔ニューヨークにあった世界で一番有名なライブハウスとも言えるCBGBが一時期、金に走ってそれに近い事をやっていた時期があるんだ。バンドが、何ケ月も前に憧れでもあるCBGBの日程を決めて遠い州から何時間もかけてライブしに来たのに、当日急に有名どころがプロモーションライブすることになって彼らのライブはキャンセル。そんな事が続いてニューヨーク中のバンドが怒ってCBGBでのライブをボイコットしたんだよ。んで、潰れたガソリンスタンドを借り切って自分たちで反対集会的なライブイベントをやったんだ。偶々俺もその時N.Y.にいたんで行ってみたんだ。そしたら人もすごく集まっててみんながメッセージを持って特設ステージに上がってるんだ。こういうのがロックでしょ!? 日本はそういうのやらねえじゃん!? 駄目だよそれじゃ! ロックって音が大きければロックとかじゃないから。生き様を晒してロックだから!

機材の破損などについても『火事起こさなきゃいい』ってのを聞いたことがあります(笑)。

人それぞれ表現方法ってのがあるからさ、それがギリギリやばいこともあったりするわけよ。そりゃ、誰かが怪我しちゃうとか死んじゃうとかになりそうなら直前に止めに入るけど、でもギリギリまでやらせないと自由な空間でなくなるっていうか、その人自体が不完全燃焼になっちゃう。それはハコとして駄目なんだよ。あれやっちゃいけませんこれやっちゃいけませんってさ、確かに法律ではいろいろあるけど、バンドが中途半端じゃなく本気なんだったら少しくらい際どい橋を渡ってもやりたいことはやらせたい。 ただ、そこを勘違いしてくる奴にはガツンと言うよ。好きなことやって、ぶっ壊してヘラヘラしてたら許さないけど、表現の中で偶然そうなったとかならしょうがないよね。『自由ってのは、自分でケツ拭いて自由』ってことだから。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2013年7月/ 最終更新 2019年7月)
Special thanks 3rd Stone From The Sun

インタビュー特集一覧(バックナンバー)

バンドメンバー募集のメンボネット ミュージックジョブネット
サウンドペディア
PANIC IN THE ZU:
TV番組「イカ天」にて本格的なロックサウンドで審査員を唸らし最後のグランドイカ天キングにもなった女性5人組のロックバンド。HEAVEN'S DOORを活動の拠点としていた。
イカ天
1989年からTBSで放送していたテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」毎週10組ほどのバンドが演奏を審査員のジャッジにより各賞やグランプリを決定する。多くのバンドがメジャーデビューをしバンドブーム時代を作った。
浅井健一
名古屋出身のロックボーカル、ギタリスト。愛称は「ベンジー」。日本ロック界の至宝であり多くのロックミュージシャンに影響を与えている。
中村達也
富山県出身の元BLANKEY JET CITYのドラマー。布袋寅泰やSuperflyなどのライブやレコーディングに参加。俳優としてテレビドラマや映画にも出演している。全身のタトゥーがトレードマーク。
BLANKEY JET CITY
ブランキージェットシティ
1990年に結成されたVo.浅井健一 Ba. 照井利幸 Dr.中村達也による日本の3ピースロックバンド。2000年の解散までに17枚のシングルと9枚のオリジナルアルバムを発表している。
NUKEY PIKES
ブランキージェットシティ
1989年から97年まで活動していた日本のハードコアバンド。ジャズやファンクの要素をミックスしのちにブームとなるミクスチャー系といわれるサウンドを確立していた。3枚のオリジナルアルバムを発表。
BEYONDS
1990年に結成された日本のハードコアバンド。メロディックなサウンドでのちに流行するメロコア系サウンドを確立していた。1994年に一旦活動を休止するも、2005年に活動再開。
ジャパコア
ジャパニーズハードコア。ハードコアバンドの本流といわれるバンドで、諸説あるがGAUZE、リップクリームなどといったバンドを筆頭に、商業色やポップな要素を完全に排除したパンクバンドの総称。
SUPER JUNKY MONKEY
スーパージャンキーモンキー
1991年に結成された日本のガールズハードコアバンド。国内のみならず米国でも活動し高い評価を得る。1999年にボーカルのMUTSUMI623が他界する。これまでに3枚のフルアルバムと3枚のミニアルバムを発表している。 → 公式サイト
スーパージャンキーモンキー
SUPER JUNKY MONKEYグッズストアー
WRENCH
1992年に結成した日本の4人組ロックバンド。常に進化を求め続けるラウドロックを中心として、テクノ・ヒップホップなどのジャンルのサウンドを取り込む。様々なアーティストとのコラボやリミックス・イベントと幅広く活動中。現場主義を貫く。→公式サイト
髭(HiGE)
HIGE
2003年に結成した日本のツインドラムのロックバンド。グルーブ感溢れるギターロックが特徴。2013年までに11枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)を発表。2010年にギタリスト・プロデューサーの會田茂一が加入。→ 公式サイト
CBGB
GBGB
ニューヨークシティマンハッタにあったライブハウス。ハードコア・パンクムーブメント発祥の地として多くの伝説的なライブを生み出す。2006年に閉店。