ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.48
西荻窪 アケタの店
- 西荻窪アケタの店について
- 1974年2月にオープン、ジャズピアニスト&オカリーナ奏者「天才アケタ」明田川荘之氏がプロデュースするジャズライブハウスの老舗。明田川氏のジャズに対する愛情で、ミュージシャンマインドを守り続け、40年以上に渡り毎日一流ミュージシャンによる演奏が繰り広げられているジャズマンに愛される名店。また、先代より引き継ぐ、オカリーナ製作・販売の「アケタオカリーナ」は日本で最も有名なオカリーナメーカーとして90年以上の歴史をもつ。レコードレーベル「アケタズ・ディス ク」も主催し、アナログレコード時代から現在まで250枚以上をリリース。
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- 西荻窪アケタの店公式サイト
杉並区西荻北3-21-13吉野ビルB101
TEL:03-3395-9507
ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 西荻窪アケタの店編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
(株)アケタオーナー/ジャズピアニスト/オカリーナ製作者・奏者 明田川荘之 氏
本日はジャズの名門、“西荻窪アケタの店” 明田川荘之さんにお話をお伺いします。明田川さんはジャズピアニストであり、お店のオーナーでもあります。オープンの経緯をお聞かせください。
10代の頃から、新宿ピットインとか、いろいろな所でジャズピアニストとして演奏していたんだけど、当時は、まだ新参者だから、いつかクビになっちゃうんじゃないかと思って、自分の足場を固めないと安心できなかったんですよ。そんな理由から自分のお店を作りました。
お店のオープンが1974年ですから、かなり若い時の決断ですね。
昔から、そういう性格なんです(笑)。レギュラーとして安定して演奏できる保障もないからね。現実はそんなに甘くない。でも、実は、ライブハウスは大学3年生時からやろうと決意していたんですよ。 それと、お店を開店してからすぐLP(レコード)を出し始めました。レーベルからは250枚ぐらいのアルバムを出したかな。
相当な枚数ですね。レーベルを作ったのはなぜですか?
レーベルを作るのも夢だったから。それと、当時は大手のレーベルから(アルバムを)出すには、ミュージシャン自身が、相応のお金を出さないとやってくれないことも多かったから、ミュージシャンにとってもうちのようなレーベルがあると助かったんだよね。お店には島田という世界一のエンジニアと奏者たちがいて、僕の出番がないほど信頼しているのでおまかせです!(笑)。
それと、「アケタオカリーナ」という世界的なブランドのオカリーナがありますね。
これは親の仕事の跡継ぎです。先代から90年以上やっています。アケタの店は41年だから 、オカリーナのほうがはるかに老舗だよね(笑)。 今のメーカーはお弟子さん、孫弟子までいる。現状、親父のお弟子さんと親父の息子が競争している (笑)。
いずれも、長い歴史を持つお店ですが、ここまで続けられるコツなどありますでしょうか?
オカリーナを作ってるのは大きいかな。店での長期のお祭りイベントが、オカリーナの営業の芳しくない時期を支えたことも多くあります。ちなみに、店の昼間はオカリーナ作ってます。地下は音出すのにも都合がいいので。
浅川マキさんにお店を任せたら1ヶ月で3,300人動員した
お店(ライブハウス)だけ、というのはやはり厳しいですか?
そういう時期もあったね。昔の話だけど、お店の経営状態がすごく悪くなったときがあってね、浅川マキさんに助けてくれって言 いに行ったことがあった。彼女はすごい動員を持っていたので彼女のカリスマ性に頼って、1ヶ月の間、彼女にお店を貸してみたんだ。
浅川マキさんの集客力に目を付けたのですね。
こちらの要望としては、その間、ジャズマンが活動できないといけないから、店に出ているジャズマンを彼女のバックバンドとして入れてくれって約束で。近藤等則とか、本多俊之とか、そこに山下洋輔さんらも加わって、ジャズマンがいっぱい出るようになった。その結果、一カ月で延べ3,300人ものお客さんが入って、一気にマイナスを取り戻せたんだ。
今や日本を代表するミュージシャンですね。オカリーナの制作販売の方は順調だったのですか?
オカリーナの方も25,000本もの在庫がたまってしまった事があってね。そのとき山下洋輔さんが動いてくれて、テレビ関係を動かそうという話になった。『欽ちゃんの週刊欽曜日』でオカリーナ教室をレギュラーにしてくれたり、『今夜は最高!』という番組のためにオカリーナを作って、タモリさんが『黒いオルフェ(Black Orpheus/JAZZの曲)』を吹けるようにしたりして。小泉今日子が(オカリーナ演奏した)『Smile Again』のヒットもその流れ(笑)。
それはすごい!売上V字回復ですね。
でも、注文を全てさばこうとして、品質管理が甘くなった部分があって、注文がいっぱい来たからと言って雑な品物を出しちゃ駄目だね。それが原因で一気に信用を失ったりする。それで会社が傾いてきた。その教訓から、その後注文がたくさん来た時には、今度は慎重になりすぎちゃって (笑)。
「売れている時こそ慎重に」ですね。
後日談だけど、そのオカリーナの件は高平哲郎さんやタモリさんに助けてもらったわけだから、当時、JAZZLIFEで僕が連載していたジャズ批評で『アケタ川賞』というのを進呈したんです。でも、山下洋輔さんにあげるのを忘れてたのね(笑)。時は経って、お店の40周年の時、JAZZLIFEで、僕と山下洋輔さんで対談をしたとき、表彰状にフェルトペンで「あなたはえらい」って書いて渡したの(笑)。カラーでJAZZLIFEに載ってるよ。
中心人物を忘れるとはお茶目ですね(笑)
そのずっと後だけど、タモリさんに赤塚不二夫さんを紹介してもらったり、また水木しげるさんもオカリーナ・ファンで調布のお宅にもお邪魔したことあります。
ジャズマンやお客さん、自分も裏切ってはいけない
お話を通して聞いていて、明田川さんの行動力やプロデュース力に驚かされます。
いやいや、そんなことはないですよ(笑)。お金を倍々にしたり、膨らませたりする才能はないから(笑)。でも「ジャズマンやお客を裏切らない」という質は保っていると思っている。だからお客さんが固定してるんです。「しょっちゅう来ないと気が済まない」という常連のお客さんがいっぱいいます。
お店にファンがつくというのはライブハウスの理想ですね。
うん、だからそこは自分も裏切ってはいけないと思っている。受けるためだったら身を売っちゃうような音楽をうちの店の客は好きではない。たまに出演するにはしょうがないけど、店側がそういう音楽をプッシュするという事になると、お客さん、ミュージシャンが怒り出す。それで、縁が切れてしまうこともこともありますからね。
「アケタの店」のことに戻りますが、ロック系のミュージシャンも出演されているようですが、ジャンルとしてはジャズがメインですか?
僕としてはジャンルにこだわっていません。そもそも僕は、大学に入るまではクラシックが好きで、クラシックの作曲家になる夢を見ていたからね。まさかジャズマンになるとは思わなかった。むしろ、当時はジャズをバカにしていた(笑)。
それがどうしてジャズマンへ?
立教の高校、大学に行ったんですが、先生も生徒をなんとしても音大へ入れようと必死で、当時、ジャズは人が足りないから、ジャズのクラスに進学させられちゃった…(苦笑)。でも、実際に学んでみたら、ジャズはクラシックに通ずる芸術だって分かったわけ。
現代のクラシック音楽はジャズが母体になる
ジャズとクラシックは意外に共通点があると言いますよね。
そうなんだよね。僕は、現代のクラシック音楽は、これから先はジャズが母体になるって信じている。クラシックの歴史を学んできたからこそ、ジャズがクラシックの母体になれると確信できるんです。ジャズは芸術です。それを信じてやっているのです。
これからの「アケタの店」で計画していることがあれば教えてください。
ビルが古いから建て直そうという話がある。大家は建て替えの時は、うちの店を優先的にするって言ってるけど、「年齢的にも気力的に新たに店を作れるかな?」っていう気持ちではあるかな。もちろん店は続けていきたいんですよ。自分の足場は変わらないので。
ミュージシャンやジャズシーン、業界に求めることはありますか?
メディアやマスコミやらに、才能あるうちの店のレギュラーミュージシャンを取り扱って欲しいね。渋谷毅さんみたいにジャズだけでなく、映画やポピュラー音楽でも巨匠という人がもっと出れば、ジャズはもっと活況するかもしれない。
それでは最後にアケタの店からメッセージをお願いします。
ジャズって難しい音楽と捉えている人がいると思いますけど、すごく人間的な音楽です。人間的ゆえに複雑な感情の表現をしますが、同時に、とても温かい音楽なので、とりあえず聴いてみてほしい。昔はジャズ評論家が、威張ってむずかしい事を言ってたけど、今はそういうこともないから気軽に楽しんでください。
ジャズの楽しさをアケタのお店で体感してもらいたいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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