ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.44
高円寺 Club ROOTS
- 高円寺Club ROOTSについて
- 2005年7月7日、高円寺の美ら島「群星館」B1にオープン。ロックからポップバンド、弾き語りまで、チャンプルーに楽しめるアットホームなハコ。沖縄テイストのフードやドリンクも魅力。母体は50年以上の歴史を持つ沖縄料理の老舗「抱瓶」。創業オーナーの高橋淳子氏は16歳で石垣島から単身本土に渡り、裸一貫で身を起こし、波乱に満ちた人生を生き抜いた。2012年に享年73歳で逝去されるも、第二のふるさと・高円寺で育んだ沖縄文化は多くの人に愛され、今も息づいている。
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- 高円寺Club ROOTS 公式サイト
東京都杉並区高円寺北3-22-3 群星館B1F
TEL: 03-3330-0447
E-mail: roots@muribushi.jp
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ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 高円寺Club ROOTS編
このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
高円寺Club ROOTS 店長 丸山尊氏
本日は高円寺の沖縄料理・居酒屋が集まるビルのB1にあるClub ROOTS店長、丸山さんにお話をお伺いします。まずはオープンの経緯を教えてください。
当社は、沖縄料理店を中心とした事業をおこなっておりますが、「新たに異文化交流したい」ということで、2005年にこのビル(群星館)を建てまして、同年7月7日、ここB1にライブハウス「Club ROOTS」をオープンしました。
沖縄文化が凝縮されたようなビルで素敵ですね。
この通りの奥に『抱瓶』という沖縄居酒屋と、ここの隣に『きよ香』という沖縄料理店もあります。『きよ香』は創業オーナーが初めて出した店で50年以上続いています。
それはすごい歴史です!
創業オーナー(高橋淳子氏)は石垣市出身で一人事業を興した有名な人で、沖縄につながりのある多くの方たちに愛されているお店です。かつて夏川りみさんが働いていたり、喜納昌吉さんが選挙の際に使ったりもしました。
そのなかでも、ライブハウスというのは少し異色な感じがしますが…。
沖縄には居酒屋と音楽が一緒になってるお店が多いんですよ。ここがオープンする前から、居酒屋の『抱瓶』でも沖縄音楽を中心にライブをやっていたので、音楽を演奏すること自体は、その延長線といえます。
なるほど、確かに沖縄音楽はすごく生活に身近な存在のような気がします。
ただ、ライブハウスのビジネスとして考えると、沖縄音楽だけでやっていくのは難しいので「何でもかんでもやってみよう」という方針でやっています。最初のころは阿波踊りやフラメンコ、最近はスポーツバー的なイベントもやっています。
雰囲気的にロック系の箱なのかなって思いました。
もちろんロックもやりますが、アコースティックやアニソンまで多ジャンルのハコです。音楽だけに捕らわれず、エンターテインメント全般、トークショーやお笑いまで積極的にやっていこうと思っています。
こういう時代だからこそ、良い物を作っていきたい
音楽の街として名高い高円寺ですが、音楽業界(が低迷している)の影響はどうでしょう?
Club ROOTSは自社の持ちビルというメリットもあるので、余裕に溢れている、という訳ではありませんが、現場ではギスギスすることもなく営業できています。最近は、なかなか(経営が)厳しいライブハウスもあると思いますが、こういう時代だからこそ、ちゃんと良い物を作っていきたいという信念は貫いていきたいと思っています。
すばらしいです。現在のバンド、アーティストに思うことはありますか?
うちの店は、伸び伸び好きなようにやろう、というスタイルなので楽しくやってくれれば、それが1番です。でも、今の若いバンドやアーティストは少し元気がないですかね…。もちろん、若くて才能がある人もいますし、技術や情報が豊富で色んな事を知っていますけど、今の音楽シーンを支えているのは主に40、50代。『若者よ、がんばれ!』です。
最近の若者の価値観かもしれませんね。ゆる〜く、まったりと…。
僕が若かりし頃、上の世代を飛び越えようと切磋琢磨していたことを考えると、今の若い子たちは打たれ弱くて(笑)、ライブハウス側も演奏について指摘したり、ダメ出ししたり出来なくなったのも原因かもしれませんね。僕らは怒られて、成長してきたので、ちょっとさみしい気がしますけど。まあ、おじさん世代は、もう怒る力がないのかもしれない(笑)。
もっと(若い世代に)ハメを外してほしいなと思うときはありますね。お酒も飲まなくなってきていますし…。
音楽シーンの新陳代謝のためにも、若い子たちにもっとがんばって欲しい。そして、もっと楽しんでお金も使って頂きたい(笑)。
では続いて、丸山さんと音楽の出会いについて教えてください。
父が音楽をやっていた影響で、ビートルズやグループサウンズ、ベンチャーズとか聴いて育ちました。自分から興味を持つようになったのは、ロックやメタル系ですね。ジューダスプリースト、レッドツェッペリンやBOØWYなんかをよく聴いていました。中学生の頃からは、家にあったアコースティックギターを弾くようになり、バンドもはじめました。
なるほど、それで(Club ROOTSに貼ってある)メタル系のポスターが多いのですね。
ポスターはメタル系が目立つかもしれませんね(笑)。その後、音響の専門学校に行くために、18歳で山梨から上京してきましたが1週間で辞めて(笑)、ライブハウスでPAのバイトをしていました。その頃は、自分のバンドがうまくいっていて、某大手の音楽事務所に所属していました。
デビューしたその日に事務所を辞めることになった
順調にステップアップしましたね。
はい、トントン拍子で挫折知らずでした。でも、事務所に入っても、やりたい事は全然出来ないし、「文句言うならおまえじゃなくてもいいんだよ!」だなんて言われたので、21歳の時に事務所を辞めてしまいました。結果、デビューしたその日に辞めたことになってしまいました。
思い切った行動ですね!
当時は「音楽を通じて世界を変えてやる!」という気持ちで活動していたので、怖い物なんて無かったですね。自分のバンドの、自分の曲なのに、言葉ひとつ自分の表現で出来ないなんて我慢できなくて、それなら無理してバンドを続ける必要ないと思い辞めてしまいました。当時から何かと自己主張が強くて(笑)。
その自信が欲しいミュージシャンは多いと思います。
いやあ、実際、やりたいようにやっていただけで。それも、自分の限界が見えていなかったただけのような…。「オレの音が分からないのならば来なければいい」というスタンスで、相手に対する歩み寄りみが全く無かったですね。今だったら、協調性とか調和を持たないといけないって思いますよ。
若さゆえかもしれませんが、素晴らしい決断だと思います。
そう言ってもらえるとうれしいですが、今思えば、自分の作った山は小さかったんだなと思います。もっと人に揉まれて、色んな物を吸収しとけば、全然違う考え方も生き方も出来たんじゃないかと…。まあ、後悔はしてないですけどね(笑)!
事務所を辞めた後は、どのような活動をしていたのですか?
バンドを辞めても音楽で食べていければ良いですけど、食べられない時期の方が長かったですね。曲作ったり、音響やったり、音楽に携わる仕事は一通りやってきましたが、それでも5年ぐらい本当に何もしない時期もあったりで…。
ミュージシャンの基本だと思います(笑)。プロでもお財布が寂しいミュージシャンは沢山います。
僕の周りもそうですよ。かつて、武道館やホールで年間何本もライブをやってきた人たちでも食べられていない状況で、むしろ彼らから『何とかしてくれ』と相談されたりもします。音楽活動を続けてきた人の多くは現状、厳しい状況になってる。
そうですね…、厳しい現実です。
それでも、音楽を続けている人たちは腹くくってるなあって思いますよ。今さら、他の業種への転職はなかなか難しいだろうし、音源作って食っていくのか、ライブや演奏で食っていくのか。僕みたいにお給料もらって、平和に生きていくのか…。
給料は最高のシステムですよねえ…(笑)。
親が公務員なので、お国からお金ももらえる仕事に就けばよかった(笑)。
それだと音楽生活という素敵な体験ができないですよ!では、最後にClub Rootsからのメッセージをお願いします。
バンド・アーティスト、イベンターの方へ、Club ROOTSは、気軽でアットホームなライブハウスです。うちを踏み台にしてステップアップ出来るよう全力でサポートしますので、ぜひ1度ご出演ください。お料理やドリンクも、普通のライブハウスでは味わえない沖縄料理、ブルーシールのアイス、泡盛などご用意しています。ぜひ多くの方に沖縄の文化を堪能していただきたいです。
高円寺で沖縄を体験できる、あったかい場所ですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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